お坊さんでよかったこと (不満との向き合い方)


おはようございます。住職です。

振り返ってみると、6月初めから怒涛の3か月半と

なってました。もちろん、中には休みの日もありましたが

予定表を見返すと、精神的に休まらないことが多い日々でした。

先日、ようやく山場の一つを越えたので、これでだいぶ楽に。

しかし、今度は西照寺の事を取り掛からねばなりません。

実は、ここが一番大事なわけです。

だからこそ、ここに注力しないといけません。

しかし、現状はホッと一息みたいな精神状態です。

ダメですね!

そのようなことをグズと言います。

先輩から教えてもらいました(笑)

さてさて、しかしながら私の予定表を見ると11月上旬までは

詰まっています。すでに、心身共に疲れ果てていますが、あと

1ヶ月半頑張らないといけません。

ここまでくると、試練として受け止める以外、気持ちのやり場が

ありません。何でこんなにやんなきゃいけないんだ!と正直思い

ますね。

お坊さんだからこそ思うことは、色々と不満はあるのですが、

それらを人のせいにしても、何の解決にもなりません。

人間は弱いもので、不満があれば、人のせいにしたくなるもので

す。人のせいにすれば、自分は悪くないと思えるし、何だか

楽にもなれます。でも踏み間違えると大変。あいつが悪い!と

恨みに変わっていきます。これは大変。

自分って卑怯ですよね。

上記のように、相手のせいにして、自分の逃げ場を作ろうとす

るんです。

でも、不満の正体は自分がつくりあげているものだから、自分の

せいなわけです。仏教を学ぶと、ここが頷けるわけ。

もちろん、頷けているけども、愚痴はでちゃいます。(笑)

だって、愚痴らないと、やっていらんないもん。

お坊さんだって、愚痴ります。

不平不満が口をついて愚痴となってでてきますが、内心は

自分のせいだと解っている。だから、グチグチ言いながらも

不満に納得してるんです。ここがお坊さんで良かった!と

思える部分かも。

あとは自分に「言い訳」という逃げ場を与えてあげるのです。

だって毎回、不満は自分が作っているものなんだから、自分のせ

いだ!などと、正面から向き合っていたら疲れちゃうし。

そこで、私の場合、言い訳を作ってあげるんです。

その言い訳が、「試練だ」と思う事。

試練だから誰のせいでもないでしょ。

忙しいから、不満はもちろんありますが、試練だから、忙しく

させてくる相手がいません。

心身共に疲れてくると余裕がなくなってくるから、それでも仕事

が日々続くと、気持ち的には「ふざけんなよ!」「なんでだ」

「チクショー」とか思うのです。

皆さん、安心してください! お坊さんも人間なんです。

だけどフラストレーションに耐えられるのです。

何故なら、この不満を作っているのは自分であることがわかって

いるから。

ここがわかっていないと危険ですね。不満は「あいつのせい」と

か、「社会のせい」とかになっていきます。

忙しい現代、フラストレーションが溜まりやすい現代、

そんな時代だからこそ、実はお坊さんの生き方って参考になると

思います。

 

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