おはようございます。 副住です。
今日は法話を載せようと思います。
“ゴミ箱”不要な物を入れる箱である。
京都の天龍寺に行った時、そこでは「護美箱」と記してあった。
“美を護る箱”と読むと分かり易い。
消費社会の日本では、当然の如くゴミは邪魔者として扱われる。
しかし、よくよく考えると、ゴミがあるから“汚れ”に気付き“汚れ”があるから反対の“美しさ”が分かるのである。
「美しさを護る箱」その陰にはゴミという“汚れ”が隠されてある。
本当の美しさがわかるのは、ゴミという陰にも視点が注がれた時であろう。
その時、ゴミはお陰様として頂けるのである。
ふと私達の生活を振り返ってみる時、“美しい”や“汚い”の区別を超えたお陰様の心が頂けているであろうか?
恥ずかしながら、自己中心の一方的見方しかできていないことに気が付くであろう。
まさに無明煩悩の我が身であることを傷むべきである。