大阪の名称はいつから?


おはようございます。副住です。

昨日、ご門徒Tさんより教えてもらいました。

今の大阪が「大さか」と呼ばれていた最古の資料が

見つかったとのことです。室町時代から、「大さか」との

言葉はあったようです。最古の資料は浄土真宗の第8代宗主

蓮如上人が書かれた物だそうです。

因みに、日本経済新聞の記事だと思われます。

さて、ご門徒Tさん、毎回貴重な資料をありがとうございます。

また、教えてください。

さて、蓮如上人と「大さか」との繋がりは深いものがあって、

今の大阪城ですが、あの土地を最初に見出し、隠居の建物を

建てたのが蓮如上人なのです。当時は、そこは野犬などがうろつく

野原だったそうです。その何もない場所を見出し、隠居の建物を

たて、その後、そこに石山本願寺を建てたのが蓮如上人です。

石山本願寺は、浄土真宗第11代、顕如宗主の時まで存在します。

顕如宗主と信長は10年の争いを行い、朝廷の勧めで和睦をします。

その時、石山本願寺を開け放つこととなりました。

石山本願寺は場所的にも優れており、その地を手に入れたのが

豊臣秀吉です。秀吉は、石山本願寺の場所に大阪城を築城したのです。

もっとも、今の大阪城は当時のものではありません。

当時のお城は、おそらく、今の大阪城の下に基礎などが埋まっている

はずです。もし、大阪城を壊して、地下を掘っていったら、

きっと、当時の遺跡がでてくることでしょう。もしかしたら

石山本願寺の遺跡などもでてくるかもしれません。

つまり、蓮如上人は「大さか」と非常に繋がりが深いのです。

もしかして、全然思い付きですが、蓮如上人が「大さか」と

名付けたのかな!?などと思ってみたりしてしまいました。

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