カテゴリー別アーカイブ: シニア情報

4月8日 西照寺 花祭り


おはようございます。副住です。

昨日のイベントのご案内を繰り返します。

4月8日 土曜 13時半~
西照寺 花祭り

お孫さん・お子さん連れで是非お越しください。

お釈迦様のお誕生日 ~仏さまのお話~
みんなでおやつ作り体験♪
タコ焼き&ベビーカステラ
仏様に甘茶かけ

会場 西照寺 ご本堂
東松山市大谷2560 0493-39-1445


問題 春のお彼岸 「おはぎ」or「ぼたもち」 どっち?


おはようございます。副住です。

今日はお彼岸のお中日。

お彼岸というのは、一年に二回あります。

中日も二回あって、春分の日と秋分の日です。

この中日を真ん中にして、前後三日を付けたすと、

一週間となります。

この一週間がお彼岸の期間となります。

ですから今年の春の彼岸は、二十日が中日だから、

十七日がお彼岸の入り。

そして二十三日が彼岸の終わりとなるのです。

因みに、中日は休日となりますが、固定された日となっていません。

大体、休日は固定された日となりますよね。

例えば、昭和の日(昭和天皇の誕生日)といえば、4月29日で

固定されてるし、憲法記念日は5月3日で固定の休日です。

しかし、春分の日や秋分の日は固定されていないのです。

年によって、変化します。だいたい同じになりますが。

春分の日と秋分の日は、太陽が真東から昇って真西に沈みゆく日です。

つまり、地球が太陽を回っている周期に関係するので、

年によって変化してしまうわけなのです。

だから、休日だけど、日が定まっていないわけです。

さてさて、今日はさらにこんな問題をだしてみましょう。

お彼岸といえば「おはぎ」ですが、「ぼたもち」ともいいますよね。

私は餡子が嫌いなので、どちらも食べませんが。

「おはぎ」と「ぼたもち」って正式には違うのですよ。

では質問、春のお彼岸にお供えしたり、食べたりするのはどちら
(「おはぎ」or「ぼたもち」)でしょう?

正解は、明日のブログで・・・


西照寺 文化財鑑賞会 報告


おはようございます。副住です。

今日で今回の連載物は終わりです。

今回の連載はずいぶん長期間に亘って、詳細に綴りました。

これだけ詳細に綴ったのには訳があって、

可能な限り文化財鑑賞会という活動をオープンにしたく思ったからです。
(もちろん、○○家とクローズしたのは、先方への配慮です。)

このブログで公言することで、「おじ様の思いを引き継いでの活動」

という形を維持せねばならないわけです。

自分たちへの制約を課したわけですね。言い訳できない。

またこうすることで、西照寺がどんなことを大切に活動しているお寺

なのかも、皆さまに理解してもらえるのかなとも思っています。

長いことお疲れさまでした。文化財鑑賞会、また企画するので、見に来てくださいね(@^^)/~~~

以下、今回の文化財鑑賞会の報告です。
・西照寺 文化財鑑賞会
・2017年2月22日~2017年2月28日まで
・会場:西照寺本堂 (埼玉県東松山市大谷2560-4) 電話0493-39-1445
・開場時間:10時から15時。
・入場鑑賞料金:無料。
初回ということで、ネットなどでの告知は行わず、地域内の様々な方へご連絡する形で告知を行い開催致しました。
・開催期間来場人数は、73名(当方集計(未集計者あり))。
・特徴は、直接間近で名品に触れ得る(見たり触ったり)鑑賞会であること。
(謙虚な気持ちで名品と対峙することが条件)
・当日の会場の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沢山の方が鑑賞されている写真もあるのですが、容量が大きくて、アップの上限を超えてしまいます。アップできず申し訳ありません。


比企の地にも勢力が


おはようございます。副住です。

実は昨日、時間ができたので、久しぶりにおじ様を

お訪ねしてきました。

色々とご報告もあったし、鑑賞会にて教えていただいた

お墓の件など、写真を見てもらって、確認してもらいたかった

からです。

さすがおじ様、私が読めなかった墓碑に書かれてある内容を

簡単に読んでいかれます。予備知識の量が違うので仕方ない。

そこで明らかとなったことがありました。

それは、昨日ブログで綴った内容と若干異なる点。

分家は分家なのですが、かなり勢力が強かったようです。

分家の〇〇家は、旗本だったようです。

旗本というのは、江戸時代の将軍直属の家臣で、1万石未満

のもので、将軍に謁見できる位だったようです。
(つまり、子分のようなイメージですね。将軍の家族的な)

〇〇家は、全国にいる旗本の中でもトップクラス。

大名一歩手前の勢力だったそうです。
(因みに、大名は1万石以上で、将軍に属するものではなく、
将軍のライバル的なイメージ。
従って、様々な義務(税)が課されてあったようです。
要するに、大名は将軍のライバルになる懸念がある為、
厳しい税を課して、力を伸ばせないようしていたわけです)

大名になると大変なので、〇〇家は、お願いして旗本のままでいたそうです。

全国トップクラスの旗本ですから、それなりの勢力をもっていたそうです。

その〇〇家の名称の名残は、現在のとある基地の名前にもなってます。

あそこも領地だったそうです。おじ様情報。

だから、入間の地や比企の地にも勢力が及んでいて不思議ではないのだそうです。

さてさて、当初おじ様から引き継いだ文化財は、

血筋的には若干私も関係しているけれども、地域的には全く関係ないな!

と思っていたのですが、どうやらそうでもなさそうです。

〇〇家の分家が、古くこの一帯で活躍していたようですから、

そういった意味では、不思議と関係がある場所になるのだな。と今となって思っています。

いずれ、そのようなことも調査を深め、

しっかりと語り継げるように整えねばならないと思っています。今後の私の宿題ですね。

明日は、最後に文化財鑑賞会の報告も含め総括を行い、

ひとまず本件を閉めようと思います。


先祖のお墓か?


おはようございます。副住です。

この数日間、今から5年程前からの経過を振り返って
綴ってきましたが、

ここでようやく以前アップした坂戸市のお墓(3月3日のブログ)
3月3日のブログ

について説明ができることとなります。

実はおじ様の生家は、○○家という名家
(祖始は武田24将(武田信玄とその取り巻き)の一人)で、

数百年前まで家系図を遡ることができます。

私は家系図の写しをおじ様から引き継いできました
(一応、私にもその血が流れているので、おじ様が写してくれたのだと思います)。

数百年前、武田家滅亡の際、

24将だった祖始の次男が分家として、入間郡に逃げ流れ込んできたようです。
(因みに、長男の系譜の流れが、おじ様ということになります)

どうやら、農民として入間郡に入ってきたとのことです。

この分家の一家も、○○家と、苗字が共通してるようです。

そのような背景もあってか、影響力があったのでしょうね。

入間郡を中心に、その近辺の川越や比企の地でも○○家の一族が活躍されていた痕跡があるのだそうです。

川越や比企の古い文献に〇〇家の苗字が記された記録があるのだとか。

先月の文化財鑑賞会に来てくださったある方が、

たまたまその一家のことを調べている方で、

坂戸市に〇〇家のお墓がありますよ、と私に教えてくださったのです。

私もそれを聞いて、文化財鑑賞会が終了した直後に、

坂戸市にあるお墓を確認しにいったわけです。

確かに苗字が確認できました。そのことをおじ様に伝えると、

数百年前に入間郡に入った先祖がいるから、その方々のお墓と、

お墓の中央に建てられてあるのは、氏神として祀った祖始の記念碑
の可能性が高いのではないか!と驚きながらも、

貴重な情報を教えてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先祖累代之墓と見えます。(因みに、先祖の祖が旧字)


文化財鑑賞会 開催の訳


おはようございます。副住です。

今日も続き(あと3日ほど続きます)です。

これらの展開が、この2~3年の間にあったのです。

その想いを引き継ぐことは、正直大変です。

しかし、お寺という場所は、おじ様の言われるような場所である

と思うし、宗教と文化財は、もしかしたら、似ている部分があって、

人々の心に影響を与えることができる要素かもしれない、

という期待もあります。

そのようなことを含め考える時、

おじ様の意思を引き継いでみようと思ったのです。

そのように思い、文化財を数点引き継がせていただきました
(1~2年ほど前から順次です)。

以来、何度もおじ様を訪問させていただく内に、

昨年末頃おじ様から「いつやるんだ!?」

と質問されてしまったわけです。

私は「何を!?」と思っていたのですが、

どうやらおじ様は「早く物を生かす活動をしてくれ」と

期待してくださっていたようです。

私としては、今後しばらく念入りに準備をしてから、

いずれ・・・と何気なく考えていたのですが、

おじ様との認識にギャップがあったようです。

私もおじ様の気持ちを理解し、急遽先月末に「文化財鑑賞会」

を企画し開催したという流れです。

 

 

 

 

 

 

 

一度試しで行ったものですが、実験ができたので、

次回のイメージもし易くなりました。

今後も年間2回ほど、行っていこうと思っています。

開催目的は、文化財を通じて、文化財が持つ力を感じて

もらうことです。本物に触れてもらう。

それによって、感じられる方は、心の癒しなどに繋がっていけれ
ば良いし、

私の最大の喜びとしたら、謙虚な気持ちで物に触れていただくことで、

もしかしたら、私を超える世界に触れていただけたとしたら、

それだけで本当に嬉しくなります。

もっとも、あやしい世界に触れるという意味ではありませんよ。
要注意。

それらが一番の目的なのです。

是非、文化財という素晴らしい物を通じて人々の心に影響を与えることができるようになれれば、

おじ様の想いに叶うあり方ということです。

ただし、諸々危険などが伴うので、対策をたてながら進めていこうと思っています。

第二回文化財鑑賞会


文化財を託される


おはようございます。副住です。

今日も二本立てブログとします。

初回がこのブログで連載ものです。

そして次が、JC(比企青年会議所)の例会の再度告知です。

さてさて、連載ものの続きです。

手紙のやり取りと、神奈川への訪問は、共感した時以降、頻繁となりました。

私も学びを深めることができるし、何よりも、

これまでとは全く違う分野の専門家との共感できる話は興味深く、

おじ様との会話が、今後の私の宗教者としての活動に大きく

影響するだろうと思ったからです。本当に自分勝手なものです。

以来、忙しい中にありながらも、足しげく会話を目的に通うようになりました。

沢山のことを教えてもらったし、新しい発見や、

重要なご指摘を頂戴することができました。

そのような過程の中で、ある日、おじ様が私に数点の文化財を託したい!と提案されました。

託す理由は、おじ様の「これらの物を生かしてほしい」との想いからです。

「これらの物には、パワーがあるけれど、美術館や博物館に行ってしまうと輝けない」

「美術館や博物館は、物の墓場」との想いがあるようです。

その本意は、美術館や博物館は物を大切に扱うことに重きがおかれ、

近くで見ることや、触れること、物が人々にパワーを伝える環境ではない。

そのような想いからでした。

これまでの私との会話の中で、私の考えや行動、西照寺というお寺の役割を重ねあわせる時、

「君に託す」と思ってくださったようです。

私としては、正直「え!?マジで??何で???っていうか、重荷・・・」と思うと同時に、

「託す」と言ってくださったおじ様の想いを引き継がなきゃ!との責任感を強く感じたことを思い出します。

おじ様の話では、「今後の日本は、より大変な時代になるし、現在もお金に色々なものが振り回され、

人々の心が置き去りになってしまっている。

これからは心が疲れ果てた人々への救済を遂げる宗教の出番だと思うの。

その一つの役割として、これらの物をお寺で生かして欲しいの」とのことでした。


おじ様の主張


おはようございます。副住です。

さてさて、連日続きます。

以来、おじ様の主張は、「本物(私の理解では、

私を超える世界に触れ得る影響力を届けてくれる物)に触れない

と!」とのものです。

さらに、「一級の文化財と言われる物は、

長いこと大切に扱われてきているものなの。

なぜなら、その道の一流の制作者が、

それこそ命がけでつくったものであり、

だからこそ作品には「いのち」が込められているの。

だからこそ、触れえる者にパワーをもたらしてくれるの。」
(ここで言うパワーとは、怪しい得体の知れない力とかではなく、心に影響をもたらし得る聖性(感動など)との意味だと理解しています)

「だからこそ、長い歴史を通じてそれぞれの世代で大切に扱われてきたの」

「もちろん、大事な物だからこそ引き継ぐ者には、そのことを理解しているという条件(資格)がいるの」

「前任者が託すとは、託された者を信じての行為なの」

「だから文化財に触れることが大事なの」

「もちろん、謙虚な気持ちで対峙しないと、本来感じられるものも感じられなくなるの」

「感性が大切なの」など、色々なことを教えてくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

これらのことは、宗教という世界においても大変大事なことだと思っています。

また、「僕が手紙を何度もだしているのに、君は全く返信をくれない。

下手でも構わないの。下手でも気持ちが伝わればいいの。

それが大事なの」など、私の苦手な部分を指摘されました。

大事な部分で共感をすると、おじ様の苦言も心に染みてきます。

以来、苦手だった手紙を何度も書くようになりました。

2年ほど前からのことです。


宗教的感性、芸術的感性、文化財的感性 共通してると思います


おはようございます。副住です。

連載の続きです。

役割を終えた私は、帰宅しました。

すると、数日後また手紙が届くように。

私は???と思いましたが、またもや放置
(手紙を書くのが苦手なのです)。

しかし、何度も手紙が届くので、再びお詫びの電話を。

すると、また来てください!と言われ、

再度、時間をあけて再々来訪。その時だったと思います。

おじ様との会話で、意気投合してしまうこととなります。

おじ様は数本の貴重な日本刀をお持ちで、それらを数十年、

ずっと手入れをされてきたのですが、

これまでのご自身の経験の中で、

日本刀の手入れをしている際、

極まった状態となったことがあるのだそうです。

その時、刀を磨いていると、「自分の意思とは関係なく、

手がポンポンポンと勝手に動いていく。

刀と自分が同化しているような、

刀が磨いてほしい部分が伝わってきて、

だから手が勝手にそこを磨きだすの。

そんな境地があるの。本物に触れるとうことは、

そういうことなんだろうと思うの」との発言をされたのです。

私は驚きました。ズバッと心に響いたのです。

まさに同感。まさに宗教の世界も同じなのです。

ちょうど私が「感性」ということについて、

その重要性を考えている最中だった時の出来事だったし、

余計にビビビッときたのです。今から3年ほど前の出来事です。
(因みに、感性について、過去のブログで綴っています。
例えば、

宗教的感性を磨く必要 (ご法話 話し手と聴き手のミスマッチ)


この他にも、感性を取り上げています。詳細は【ブログ内の検索で
感性 と打ち込んで探してみてください】

おじ様の発言は、まさに宗教本質と通じていることだと思いました。

この時からです。おじ様との会話が本当に楽しい会話となったというか、

美術品・文化愛・芸術の世界に私が強烈に興味をもちはじめ、

その可能性を感じるようになったのは。

たぶん、芸術や文化財などの世界にも、

理論を超える世界(私を超える世界)があるのです。

むしろ、芸術や文化財などの道の方が、

宗教よりも感性を育みやすい環境なのかもしれません。