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ぼたんまつり(東松山市) 付近の西照寺では文化財鑑賞会


おはようございます。副住です。

東松山市の西照寺の近く(500メートル位)にある、

「ぼたん園」では、4月末から5月の

ゴールデンウィーク期間の最終日にかけて

「2017年 ぼたんまつり」が開催されます。

ぼたんまつり

沢山の方が毎年、観光に来られます。

ちょうどその時期と重なる5月1日と2日の10時より14時まで

西照寺では、第二回文化財鑑賞会を開催することとなりました。

無料です。是非、「ぼたんまつり」のついでにご来場ください。

西照寺本堂にて開催しております。

西照寺 第二回文化財鑑賞会 2017年5月1日、2日開催


西照寺 第二回文化財鑑賞会 2017年5月1日、2日開催


おはようございます。副住です。

西照寺では、第二回文化財鑑賞会を5月1日、2日に

開催する運びとなりました。

時間は10時から14時まで。

無料です。場所は西照寺本堂。

但し、入場鑑賞に関しては、文化財を守る為、当方の指示に従って、

大事に鑑賞いただくことをお守りください。

文化財鑑賞会チラシ

西照寺では、今年の2月に試しで初回を行いました。

今後は、年間2回のペース(春と秋)で鑑賞会を開催していきたいと考えております。


4月8日 西照寺 花祭り


おはようございます。副住です。

昨日のイベントのご案内を繰り返します。

4月8日 土曜 13時半~
西照寺 花祭り

お孫さん・お子さん連れで是非お越しください。

お釈迦様のお誕生日 ~仏さまのお話~
みんなでおやつ作り体験♪
タコ焼き&ベビーカステラ
仏様に甘茶かけ

会場 西照寺 ご本堂
東松山市大谷2560 0493-39-1445


問題 春のお彼岸 「おはぎ」or「ぼたもち」 どっち?


おはようございます。副住です。

今日はお彼岸のお中日。

お彼岸というのは、一年に二回あります。

中日も二回あって、春分の日と秋分の日です。

この中日を真ん中にして、前後三日を付けたすと、

一週間となります。

この一週間がお彼岸の期間となります。

ですから今年の春の彼岸は、二十日が中日だから、

十七日がお彼岸の入り。

そして二十三日が彼岸の終わりとなるのです。

因みに、中日は休日となりますが、固定された日となっていません。

大体、休日は固定された日となりますよね。

例えば、昭和の日(昭和天皇の誕生日)といえば、4月29日で

固定されてるし、憲法記念日は5月3日で固定の休日です。

しかし、春分の日や秋分の日は固定されていないのです。

年によって、変化します。だいたい同じになりますが。

春分の日と秋分の日は、太陽が真東から昇って真西に沈みゆく日です。

つまり、地球が太陽を回っている周期に関係するので、

年によって変化してしまうわけなのです。

だから、休日だけど、日が定まっていないわけです。

さてさて、今日はさらにこんな問題をだしてみましょう。

お彼岸といえば「おはぎ」ですが、「ぼたもち」ともいいますよね。

私は餡子が嫌いなので、どちらも食べませんが。

「おはぎ」と「ぼたもち」って正式には違うのですよ。

では質問、春のお彼岸にお供えしたり、食べたりするのはどちら
(「おはぎ」or「ぼたもち」)でしょう?

正解は、明日のブログで・・・


西照寺 文化財鑑賞会 報告


おはようございます。副住です。

今日で今回の連載物は終わりです。

今回の連載はずいぶん長期間に亘って、詳細に綴りました。

これだけ詳細に綴ったのには訳があって、

可能な限り文化財鑑賞会という活動をオープンにしたく思ったからです。
(もちろん、○○家とクローズしたのは、先方への配慮です。)

このブログで公言することで、「おじ様の思いを引き継いでの活動」

という形を維持せねばならないわけです。

自分たちへの制約を課したわけですね。言い訳できない。

またこうすることで、西照寺がどんなことを大切に活動しているお寺

なのかも、皆さまに理解してもらえるのかなとも思っています。

長いことお疲れさまでした。文化財鑑賞会、また企画するので、見に来てくださいね(@^^)/~~~

以下、今回の文化財鑑賞会の報告です。
・西照寺 文化財鑑賞会
・2017年2月22日~2017年2月28日まで
・会場:西照寺本堂 (埼玉県東松山市大谷2560-4) 電話0493-39-1445
・開場時間:10時から15時。
・入場鑑賞料金:無料。
初回ということで、ネットなどでの告知は行わず、地域内の様々な方へご連絡する形で告知を行い開催致しました。
・開催期間来場人数は、73名(当方集計(未集計者あり))。
・特徴は、直接間近で名品に触れ得る(見たり触ったり)鑑賞会であること。
(謙虚な気持ちで名品と対峙することが条件)
・当日の会場の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沢山の方が鑑賞されている写真もあるのですが、容量が大きくて、アップの上限を超えてしまいます。アップできず申し訳ありません。


比企の地にも勢力が


おはようございます。副住です。

実は昨日、時間ができたので、久しぶりにおじ様を

お訪ねしてきました。

色々とご報告もあったし、鑑賞会にて教えていただいた

お墓の件など、写真を見てもらって、確認してもらいたかった

からです。

さすがおじ様、私が読めなかった墓碑に書かれてある内容を

簡単に読んでいかれます。予備知識の量が違うので仕方ない。

そこで明らかとなったことがありました。

それは、昨日ブログで綴った内容と若干異なる点。

分家は分家なのですが、かなり勢力が強かったようです。

分家の〇〇家は、旗本だったようです。

旗本というのは、江戸時代の将軍直属の家臣で、1万石未満

のもので、将軍に謁見できる位だったようです。
(つまり、子分のようなイメージですね。将軍の家族的な)

〇〇家は、全国にいる旗本の中でもトップクラス。

大名一歩手前の勢力だったそうです。
(因みに、大名は1万石以上で、将軍に属するものではなく、
将軍のライバル的なイメージ。
従って、様々な義務(税)が課されてあったようです。
要するに、大名は将軍のライバルになる懸念がある為、
厳しい税を課して、力を伸ばせないようしていたわけです)

大名になると大変なので、〇〇家は、お願いして旗本のままでいたそうです。

全国トップクラスの旗本ですから、それなりの勢力をもっていたそうです。

その〇〇家の名称の名残は、現在のとある基地の名前にもなってます。

あそこも領地だったそうです。おじ様情報。

だから、入間の地や比企の地にも勢力が及んでいて不思議ではないのだそうです。

さてさて、当初おじ様から引き継いだ文化財は、

血筋的には若干私も関係しているけれども、地域的には全く関係ないな!

と思っていたのですが、どうやらそうでもなさそうです。

〇〇家の分家が、古くこの一帯で活躍していたようですから、

そういった意味では、不思議と関係がある場所になるのだな。と今となって思っています。

いずれ、そのようなことも調査を深め、

しっかりと語り継げるように整えねばならないと思っています。今後の私の宿題ですね。

明日は、最後に文化財鑑賞会の報告も含め総括を行い、

ひとまず本件を閉めようと思います。


先祖のお墓か?


おはようございます。副住です。

この数日間、今から5年程前からの経過を振り返って
綴ってきましたが、

ここでようやく以前アップした坂戸市のお墓(3月3日のブログ)
3月3日のブログ

について説明ができることとなります。

実はおじ様の生家は、○○家という名家
(祖始は武田24将(武田信玄とその取り巻き)の一人)で、

数百年前まで家系図を遡ることができます。

私は家系図の写しをおじ様から引き継いできました
(一応、私にもその血が流れているので、おじ様が写してくれたのだと思います)。

数百年前、武田家滅亡の際、

24将だった祖始の次男が分家として、入間郡に逃げ流れ込んできたようです。
(因みに、長男の系譜の流れが、おじ様ということになります)

どうやら、農民として入間郡に入ってきたとのことです。

この分家の一家も、○○家と、苗字が共通してるようです。

そのような背景もあってか、影響力があったのでしょうね。

入間郡を中心に、その近辺の川越や比企の地でも○○家の一族が活躍されていた痕跡があるのだそうです。

川越や比企の古い文献に〇〇家の苗字が記された記録があるのだとか。

先月の文化財鑑賞会に来てくださったある方が、

たまたまその一家のことを調べている方で、

坂戸市に〇〇家のお墓がありますよ、と私に教えてくださったのです。

私もそれを聞いて、文化財鑑賞会が終了した直後に、

坂戸市にあるお墓を確認しにいったわけです。

確かに苗字が確認できました。そのことをおじ様に伝えると、

数百年前に入間郡に入った先祖がいるから、その方々のお墓と、

お墓の中央に建てられてあるのは、氏神として祀った祖始の記念碑
の可能性が高いのではないか!と驚きながらも、

貴重な情報を教えてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先祖累代之墓と見えます。(因みに、先祖の祖が旧字)


文化財鑑賞会 開催の訳


おはようございます。副住です。

今日も続き(あと3日ほど続きます)です。

これらの展開が、この2~3年の間にあったのです。

その想いを引き継ぐことは、正直大変です。

しかし、お寺という場所は、おじ様の言われるような場所である

と思うし、宗教と文化財は、もしかしたら、似ている部分があって、

人々の心に影響を与えることができる要素かもしれない、

という期待もあります。

そのようなことを含め考える時、

おじ様の意思を引き継いでみようと思ったのです。

そのように思い、文化財を数点引き継がせていただきました
(1~2年ほど前から順次です)。

以来、何度もおじ様を訪問させていただく内に、

昨年末頃おじ様から「いつやるんだ!?」

と質問されてしまったわけです。

私は「何を!?」と思っていたのですが、

どうやらおじ様は「早く物を生かす活動をしてくれ」と

期待してくださっていたようです。

私としては、今後しばらく念入りに準備をしてから、

いずれ・・・と何気なく考えていたのですが、

おじ様との認識にギャップがあったようです。

私もおじ様の気持ちを理解し、急遽先月末に「文化財鑑賞会」

を企画し開催したという流れです。

 

 

 

 

 

 

 

一度試しで行ったものですが、実験ができたので、

次回のイメージもし易くなりました。

今後も年間2回ほど、行っていこうと思っています。

開催目的は、文化財を通じて、文化財が持つ力を感じて

もらうことです。本物に触れてもらう。

それによって、感じられる方は、心の癒しなどに繋がっていけれ
ば良いし、

私の最大の喜びとしたら、謙虚な気持ちで物に触れていただくことで、

もしかしたら、私を超える世界に触れていただけたとしたら、

それだけで本当に嬉しくなります。

もっとも、あやしい世界に触れるという意味ではありませんよ。
要注意。

それらが一番の目的なのです。

是非、文化財という素晴らしい物を通じて人々の心に影響を与えることができるようになれれば、

おじ様の想いに叶うあり方ということです。

ただし、諸々危険などが伴うので、対策をたてながら進めていこうと思っています。

第二回文化財鑑賞会


文化財を託される


おはようございます。副住です。

今日も二本立てブログとします。

初回がこのブログで連載ものです。

そして次が、JC(比企青年会議所)の例会の再度告知です。

さてさて、連載ものの続きです。

手紙のやり取りと、神奈川への訪問は、共感した時以降、頻繁となりました。

私も学びを深めることができるし、何よりも、

これまでとは全く違う分野の専門家との共感できる話は興味深く、

おじ様との会話が、今後の私の宗教者としての活動に大きく

影響するだろうと思ったからです。本当に自分勝手なものです。

以来、忙しい中にありながらも、足しげく会話を目的に通うようになりました。

沢山のことを教えてもらったし、新しい発見や、

重要なご指摘を頂戴することができました。

そのような過程の中で、ある日、おじ様が私に数点の文化財を託したい!と提案されました。

託す理由は、おじ様の「これらの物を生かしてほしい」との想いからです。

「これらの物には、パワーがあるけれど、美術館や博物館に行ってしまうと輝けない」

「美術館や博物館は、物の墓場」との想いがあるようです。

その本意は、美術館や博物館は物を大切に扱うことに重きがおかれ、

近くで見ることや、触れること、物が人々にパワーを伝える環境ではない。

そのような想いからでした。

これまでの私との会話の中で、私の考えや行動、西照寺というお寺の役割を重ねあわせる時、

「君に託す」と思ってくださったようです。

私としては、正直「え!?マジで??何で???っていうか、重荷・・・」と思うと同時に、

「託す」と言ってくださったおじ様の想いを引き継がなきゃ!との責任感を強く感じたことを思い出します。

おじ様の話では、「今後の日本は、より大変な時代になるし、現在もお金に色々なものが振り回され、

人々の心が置き去りになってしまっている。

これからは心が疲れ果てた人々への救済を遂げる宗教の出番だと思うの。

その一つの役割として、これらの物をお寺で生かして欲しいの」とのことでした。