読書で過去の自分を新発見。


おはようございます。副住です。

近頃、本を読むことにしています。

種類は、興味があるもの。

私は、幼少期から読書嫌いで、本がとても嫌いなのです。

読むのも疲れるし、そもそも気持ちが持続しない。

そんな理由で、嫌いでした。

しかし、大学時代に勉強するぞ!と決めてから、苦手だった

ものに、立ち向かいました。結果として、やればできる!と

学びました。しかし、今でも勉強は嫌いだし、読書も好きでは

ありません。だけど、読書をすると、知識が増えるし、良いこと

であると気づきました。だから、嫌いだけれども、自分の成長の

為には読書をしないといけません。だから、嫌いなんだけど、

頑張って読書します。

今の自分が知らないことで、今後それを知らないといけない事が

あると気づいた時、てっとりばやく本を探して購入します。

現代はとても便利。インターネットで検索できるから。

私はアマゾンでよく本を購入します。

もちろん、インターネットで検索することもします。

でも、ネットだけではなく、情報の裏付けも大事な

ことなので、本を買って読んでみるのです。

本は著者紹介もされているし、根拠が書かれている場合も

あります。ネットの情報は貴重ですが、その信頼性を高める

為に、本があると私は理解しています。

それなので、本格的に情報を得たい時は、本を購入します。

現在、知らなければいけないと思う内容が、「本物」という

ことです。しかし、いくつか関連しそうな本を購入したのですが

、私が知りたい内容と、若干ズレていました。少し残念。

ただ、良い事が書かれてあるので、目的が違った学びですが、

知識が深まります。

例えば、今読んでる本が、少し前の本『ものの見方、考え方』と

いう本です。外山滋比古さんの著作です。

私は、「本物」に対する、「ものの見方、考え方」なのかな!?

と思い、取り敢えず購入してみたのですが。

外山さんの別の著作に、『本物のおとな論』があったので、関連

しているのかと思い、両方買ってしまいました。

因みに、『本物のおとな論』も、私が知りたかった「本物」

という内容と若干のズレがありそうです。(笑)

さて、『ものの見方、考え方』の「はじめに」部分で興味深い

ことが書かれてありました。

日本の教育で重要とされてきたのが、受動的学習というもので、

とりあえず、先生から習うことを、そのまま受け入れる!と

いうことが当然のように行われているというのです。

暗記に象徴されるように。

このような学びだと、生徒に「疑問」が起きないらしいです。

考えないから。

著者は、外国での学びを通じて、物事に対して、自分なりの見方

をすることができるようになることが大事だと主張されます。

自分なりの見方ができるようになれば、発信型思考が動き出す!

というのです。

日本では、「発信型思考を育ててくれる機関がない」と言われ

発信型思考がないと、本当の工夫や、特徴などが生まれづらいと

言いたいのだと理解しました。

日本人は模倣が上手いと言われますが、これは受動的理解

からくるもので、今の日本においては、発信型思考が大事なのだ

と言われたいのだと理解しています。

さらに、驚くことに、私が勉強嫌いとなった理由が、そこに明示

されていたので、ちょっと引用してみます。

「模倣のうまい人が発信型思考力をつけるのは、絶望的に困難で

ある。すこし血のめぐりの悪い、ものがうまくわからないよう

な頭脳が有望である。ことごとに、わからないことにぶつかる。

他人の言うこと、考えといつも違っている、というのが望まし

い。質問思考である。受動的ではなく能動的な考え方をする

ことで、すこしずつ発信型思考に近づくことができる」

とありました。小学生の時の私のことを言われているようで、

思わず、自分はそもそも発信型思考のタイプだったんだ!と

頷かされました。少しだけ、衝撃でした。

私は小学生の頃から、理解力に乏しく、テストに書かれている

問題文が、何を言いたいのか理解できなかったのです。

でも、テストだから先生に、この質問、どういう意味ですか?と

聞くこともできない。さらに、周りの人は、皆共通認識できてい

る。つまり、自分だけオカシイのだ!と思ってました。

もっというと、自分は頭が悪いんだ!皆が理解できることが

理解できない。皆が当然と思うことが、自分には当然と受け止め

られない。そんなことだらけで、自分は落ちこぼれ。頭が悪い。

などと劣等感だらけでした。今でも劣等生だと思っています。

そんなことから、勉強をすることが嫌いになって、放置して

いたのです。だって、質問でさえ、この質問は何が聞きたいのだ

ろう?って思うことがあったりするのです。問題を解く前から

質問に対し、「どういうこと?」てなってしまっていたのです。

そこで、勝手に自己解釈して回答を綴ると、間違っているのです

。そもそも質問の意図を誤っているのですから、答えも違う。

小学生の中学年頃、そんなことが続いてきて、テストの点も

悪くなり、勉強が嫌いになりました。

勉強しなくなったのです。当然、それ以降は勉強なんて

できません。それを克服できたのが、大学生の頃でした。

自分で考えまくることが許された時期が大学の頃でした。

答え何てないし、先生にドンドン質問できました。

先生も、私の問いをとても大事にしてくれました。

そこから、自分で考える、発信型思考が確立されたのだと

思います。どうも私は、自分で考えることが性質のようです。

丸暗記とか、意味がわからないし、つまらない。

そこが重要ではなかったのです。

つまり、今気づいたことは、私の頭が悪かったのではなく、

日本の教育環境と、私のタイプが合っていなかったのだと知りま

した。どうも、私はお寺生まれなのに、日本人らしくないの

かもしれません。日本の環境に馴染めなかったのです。

不思議と、私が求めていた内容とはズレていた本を読んで、

自分の過去に対して新しい気づきを貰いました。

本を読むことは嫌いだけど、こんな面白い発見もあるし、

そもそも良い本は、読みやすい。

良い本は、良く出来ているのです。私が本が嫌いなのは、

良い本と出合ってこなかったから。良い本はすぐに読めてしまい

ます。楽しいから。


西照寺法話会


おはようございます。副住です。

今日は第二土曜日。西照寺法話会の日です。

13時半から読経

14時からご法話です。

少し前から歎異抄に入りました。

歎異抄を読み進めております。

歎異抄って、聞いたことがあるけど

実は内容は良く知らない!という方も多い

かもしれませんね。

何気なく読んでも、内容が理解できずらいと思います。

でも、とても奥深い内容なのです。

是非、ご興味あれば、いらしてください。

無料で気楽です。


睡眠


おはようございます。副住です。

昨日は、1日築地だったので、更新できませんでした。

今日は午後から築地で会議があります。

朝は少し時間が持てているので、ブログ更新!

一昨日も遅くなり、睡眠不足。

そして、昨夜は疲れていたこともあり、早い時間に就寝。

22時頃に就寝してしまいました。

今朝は5時に起きましたが、スッキリ!!!

良く寝れました。最近は7時間睡眠で、良く寝た!と感じます。

昔は8時間・6時間が目覚めが良かったけど、年齢を重ねたことも

影響しているのでしょうか?最近は7時間・5時間と奇数時間が

良く寝た!と感じます。1時間短くなってる。

加齢で、睡眠時間は少なくなってくると言われますが、

確かにそうなのかもしれないと実感してます。

また、理想は8時間くらいは睡眠をとらないといけない。

と聞いたこともあるので、睡眠を大切にする私は、可能な限り

それに近い時間睡眠時間を確保したいと思います。

ただ私の場合、睡眠時間は確保してるのに、目覚めてしまう!

という、違う部分が問題なのですが。

眠いのに目覚めてしまう!というのは、ストレスとかも関係して

るのだろうか? 今、フッと思ってしまいました。

だって、睡眠が十分確保されているから、自然と目が覚めるの

だと思いますが、眠いのに、目が覚めるって、明らかに不自然

だと思います。逆行してる。それって、何か心理的なものが影響

してそうですよね。ネットで調べてみよう!っと。

でも、現在心理的な不安などは、無いと思っています。

あったとしたら、無自覚のストレスです。

 


睡眠不足


おはようございます。副住です。

最近、睡眠が上手いこととれない日があります。

傾向として、この一か月弱の話ですが、

よく眠れたと感じる日の翌日は、よく寝れません。

昨日は、それなりに寝れたので、今日は寝れなかったのかも。

今朝は、4時頃目が覚めてしまいました。

昨夜は24時頃就寝したので、4時間前後。

今は、ボーっとしています。睡眠が稀に4時間だと

むしろ頭が冴えて調子がいい時もあるのですが、今日は

ダメなようです。たぶん睡眠が足りなかったのでしょう。

私は一度目が覚めてしまうと、寝れなくなります。

ただし、夜中にトイレで起きる場合は、大丈夫なのです。

不思議と、また寝れるのです。

そうではなくて、自然と目が覚めてしまう場合はダメ。

二度寝が苦手なタイプのようです。

眠たいけど、寝れなくなるのです。

だから起きてしまう。

今朝もそんなでした。

眼が覚めてしまい、携帯をみると

4時13分とか。

その際は、「やっちゃった!」と何となく思うのです。

だって、二度寝ができないから。

そのまま、ベットでしばらく二度寝しようと頑張るのですが、

もはや意識がある、ウトウト状態が続きます。

そこで、どうにもならなくなって、5時にベットから出ました。

お風呂を沸かし、入浴(私は毎朝お風呂入ります)し

支度を済ませました。

しばらくは、目が覚めているのですが、数時間たつと、頭が

ボーっとしてきます。今は、そんな状態。眠いような感じ。

でも寝れないのですよ。これが嫌な感じなのです。

このまま、数時間経つと、頭がボーっとしているのも解消され

てきます。

今日のブログは、少し私の考えみたいなことを綴ろうと思って

いたのですが、そんな状態なので、やめておきました。

面倒だから。

睡眠がしっかりとれたときに、綴ろうと思います。

でも、明日も明後日も朝から築地なので、ちょっと厳しいか。


長時間会議


おはようございます。副住です。

今日は一日、東京で過ごします。

午後の13時から17時まで4時間の長時間会議

その後、18時過ぎから東京仏教学院で講義です。

終わり次第帰宅しますが、長丁場となります。

睡眠はそれなりに取れているし、会議時間集中できれば

いいのですが、しかし、4時間の会議は長いなあ。

今月は、最終日にJCの恐怖の第三回予定者理事会議もあります。

第三回目の予定者理事会は、毎回恐怖の会議なのです。

会議時間は少なくとも6時間を超えるから。

それでも、ほとんど休憩入れずに、真剣にやってるのですよ。

余りに議題が多いし、一つ一つの会議に対し、真剣に向き合って

いるので、どうしてもそうなってしまうのです。

それが控えていると思うと、今月はタフだな。

 

 


お寺の活動の核をみつけていく作業


おはようございます。副住です。

ブログが更新できずにいた、この一か月弱で

意識してなかったのですが、自然と考えが深まりました。

西照寺の果たすべき役割に関してです。今まで、色々とあーだ

こーだと言ってきて、近年纏まってきました!と話してきたと

思いますが、たぶん、現状が最終局面位にいるのだろうと思って

います。西照寺の活動の核がしっかり見えたように思います。

なぜ、そうなったのかと言えば、この一か月の中で、研修会の講

師のご依頼があったり、異なる研修会そのものに参加者として受

講したり、様々な環境が影響したのだと思います。

また、現:西照寺初代住職である父の思いや、これまでのお寺

づくりに関する取り組みなどを聞いてきた話が、自然と総合

してきたのです。

これまで、何となく近づいていたのですが、それが明確に

絞られたような気がしてます。

20代前半の頃から、今後のお寺に不安を感じながら

何をどうすればよいのかもわからず15年近く過ごしてきました。

35歳頃、非営利組織の経営についての塾があることを知り身を

投じました。そこで学んだことを、あれこれと実践の中で理解を

深めながら、足掛け7年。ついに、西照寺が歩むべき道、いや

歩んでいた道が明確になったわけです。

昔から自分の能力の無さには自信を持っていたつもりですが、

ここまで苦労するとは。7年経って、ようやく基本が理解という

か、土台が理解できた!ということです。

そもそも僧侶になりたいのか?も判らず、それなら教義を勉強し

てみて、納得できなかったら、僧侶とならずに、自坊を飛び出そ

う!と思いながら、人生をかけて勉強した挙句、教義に納得して

しまい、お坊さんやってもいいか!と24歳頃に納得したのです。

しかし、お寺を運営していかなければならないことは、教義に納

得することとは別問題。私の場合、僧侶になることには納得した

けれど、お寺を運営・経営していかなければならない課題に対し

ては、解決策がないできました。

その当時、京都のあるお寺でお手伝いをさせていただきながら、

お寺の実情を俯瞰してました、そこで感じたことは「お寺の存在

価値って?」との疑問と、今後のお寺ってどうなっていくの?

という不安。

そこから考えれば、現在に至るまで足掛け20年。

ようやくお寺というか、西照寺の存在価値について、核が明確に

なったように今は思っています。

20年って。ここまでくると、西照寺の核を明確にするだけでも

一世代の仕事となりますよね。まぁ、私の能力の無さで、こんな

に時間がかかってしまったんだけど、そもそも相手がお寺という

数百年も日本の中で続いてきた存在だし、これまで時代的にも

存在意義なんて問われてこなかったものだろうし。

そもそも存在価値を問うということが、時代の流れの影響だろう

し。現在という時代に合わせると、お寺の「存在価値の明確化」

を行うことで、お寺の使命などが理解でき、活動がわかりやすく

なり、しっかりとしたお寺の特徴がだせるし、そこがしっかりと

だせることで、世間の皆さんが、お寺ってどういう場所なのかが

分かりやすくなり、お寺に共感してくださる方がでてくる可能性

が高まるという事なのでしょう。ここが疎かになるから、今の時

代、お寺に人が集まらなくなって、お寺も運営できなくなってい

く。だからこそ、お寺の存在価値を明確にしていくことは、大切

である!とのことなのです。たった、それだけのことを行うのに

7年もかかってしまいました。日々、そんなことを考えながら

色々な情報を仕入れながら、歩んできたのです。

しかし、数百年も続いているお寺には、様々な側面があって、教

義を弘めるという大義名分だけに特化した活動をしているわけで

はなかったのです。お寺には、日本の精神文化も大きく関係して

いるし、そこには教義に触れられていない部分のこともあったり

しました。それはそれで、とても重要なことでした。

そんなことをトータルすれば、数百年の営みを、7年で総括し

核を見つけるという作業は、むしろ超早い位ですね。全体をしっ

かり把握できていない可能性の方が、はるかに高いのです。

そういう意味では、株式会社みたいな、割と近現代に出来上がっ

た会社などの方が、よっぽど歴史がない分だけ、存在意義を明確

化しやすい対象なのかもしれません。

それにしても、お寺って、本当に特殊だよなぁ~。

 


文化財鑑賞会の願い


おはようございます。副住です。

昨日、ようやくブログ更新が再開できるように

なりました。

ここ、1ヶ月ほどは色々あってとても大変な日々でした。

大変な日々は、来月初旬まで続きますが、それを乗り切れば

あとはゆっくりできるはずなのです。一応、現在の予定では。

さて、11月2日と3日で、文化財鑑賞会を開催します。

3日は文化の日ですし、スリーデーマーチもあるので、

昨年から、毎年この時期に行うこととしました。

これまで、寄贈者の方と想いの引継ぎを続けてきまして、

先日、ようやく本当の意味を私が理解できたように思います。

何故、門外漢(専門外)ですから、文化財が何なのか?

引継ぎを託された私の役割とは、果たして何なのか?など

寄贈者の方は、どういうわけか、私を見込んでくださっての

行為と言われるのですが、その分、成長しないといけないようで

す。まだ、見込の段階が1年以上続いてきました。

これまで何度も、寄贈者のご自宅まで足を運び、ご教示をうけな

がら、ようやく先日、何が大事なのか?を私が受け止められた

ように思います。

文化財鑑賞会も、寄贈者の方のご意向を受けたものでしたが、

どうやら、寄贈者の方の本当の願いを、私が理解しきれていな

かったので、これまで若干ズレた方向で開催をしてきてしまいま

した。ようやく、寄贈者の方の願いを理解できたように思います

ので、今後の文化財鑑賞会は、しっかりとその願いを反映できる

ようにしたいと思います。

キーワードは「本物」です。


403エラー


おはようございます。副住です。

長いこと、申し訳ありません。

ご迷惑、ご心配をおかけいたしました。

ブログ、またもやトラブルで、更新ができず。

9月中旬頃から、更新画面を開くと

突然「403エラー」と表示され、更新できない状態に。

昨年まで、ご依頼していた管理業者さんと契約解除をした

影響ですね。

私は未だ原因がよく理解できていないのですが、西照寺ブログの

フォルダ内の設定に問題があったみたいです。

しかし、西照寺ブログのフォルダ!?となってしまい、さらに訳

がわからず。・・・要はプロバイダ会社内で管理されている

西照寺ブログのフォルダがあるみたいで、当ネット画面から訂正

できない仕組みだったようです。

約1ヶ月も、かかってしまいました。

でも、これで今後の403エラー時の対応も、できてくると

思います。

何かの、いたずらや迷惑メールに対応する為なのか、

ある日突然、西照寺ブログ内のファイルにIPアドレスを打ち込む

必要がでてくるみたいです。それが403エラーの意味らしいと

今は理解しました。

私はアナログなので、デジタルは本当に訳がわからないです。