カテゴリー別アーカイブ: 日記

お寺の恋活


こんにちは 住職です。

最近、眠れない日々が続きます。

昨夜は、どういう訳か23時過ぎに就寝したのですが、

2時半に目が覚めるというイレギュラーが・・・

その後、しばらく眠れず、少しウトウトした部分はあったのです

が、4時には目覚めてしまいました。

眠気はあまりないのですが、頭が起きていない感じです。

ここ一週間ほど、熟睡ができていない感じです。

それまでは、寝れていたのに。

あぁ、ちょっと嫌だ。

さてさて、昨日の真宗教団連合の本部のイベントをご紹介して

みましょう。

こんなこともやっているのです。

れんこん(恋婚)です。

れんこん

お寺に嫁ぎたい、お寺に養子に入りたい、などなど

本気のイベントなので、参加人数も限定している様子ですね。

 


真宗教団連合東京支部


こんにちは 住職です。

昨日は、久しぶりに築地本願寺に出勤してきました。

夕刻から、10月10日に開催した真宗教団連合東京支部の

公開講座の反省会議と打ち上げがあり、赤坂に出かけました。

赤坂といっても、料亭に行ったわけではないのですよ。

赤坂のお寺で会議をしたのです。

凄い場所にあるものですね。

真宗高田派の澄泉寺さんです。

会議を16時半~18時まで行い、お寺の外に出たら

わかり辛いでしょうが、ホテルオークラの新館が目の前に。

改めて、凄い場所にお寺あるな!と一同驚愕。

お寺をでて、この写真の奥にうつる塀にぶつかるのですが、そこ

には

赤坂一丁目・・・凄い場所だ。

ここら辺は、アメリカ大使館など外国の大使館がいろいろあって

警護の人も立っており、治安はとても良さそうですし、とても

静かな場所でした。住むには良さそうな場所だと思います。

もっとも、住めないだろうけど。

会議の後、近くにあるアークヒルズの中華店で打ち上げ懇親会を

開催。懇親を深めてきました。

今回の会議は、真宗教団連合東京支部の会議でした。

実は、浄土真宗という宗教には色々と派閥があるのです。

主に十派あります。

その中で今、一番数が多いのは浄土真宗本願寺派(私の所属する

宗派)なのです。

次が真宗大谷派さんです。ご本山は東本願寺で有名です。

この2つの派閥が全国でも有名だと思います。

本願寺派のご本山は西本願寺。大谷派さんは東本願寺。

どちらも聞いたことあるご本山だと思います。

実は、これ以外にも、浄土真宗には派があるのです。

真宗高田派や真宗木部派、あるいは真宗誠照寺派、真宗仏光寺派

、真宗興正派などなど。

浄土真宗の宗派名が多数ありますが、東本願寺の宗派名とその他の名称を教えてください。

これらの派閥があるのですが、親鸞聖人を開祖とする派ですから

教えは同じです。ただし、解釈が若干違う場合もあると思います

基本的には同じ教えですし、それぞれの派閥の歴史を尊重しつ

つ、お互いに派閥を超えて連携しましょう!ということで、

50年前にできた組織体が、真宗教団連合なのです。

なぜ、浄土真宗教団連合ではないのか?と思われるかもしれませ

んが、実は正式に浄土真宗と名乗ることができるのは、本願寺派

だけなのです。江戸時代だったか、幕府から浄土真宗と名乗るこ

とを許されたのが、本願寺派だったのです。確か、いち早く幕府

に「浄土真宗本願寺派」と申請したのが、本願寺派だったという

理由だったと思います。その時に、浄土真宗を許すのは、本願寺

派だけにしてください!とのやり取りがあったんだと思います。

そこから、他の団体は浄土真宗と名乗れなくなって、真宗・・・

と名乗ることとなったのです。確かそんな背景があるのです。

正確なことが知りたければ、探ってみてください。

私の曖昧な記憶で書いています。

そこで、派閥を超えて結成した組織を「真宗教団連合」としたの

です。本部は、各派閥のご本山が多い京都にあります。

その支部として、真宗教団連合東京支部があるのです。

私は、浄土真宗本願寺派の東京教区の代表として、真宗教団連合

東京支部に関係しているのです。

そこで、昨日の会議は、東京支部の真宗高田派のメンバーのお寺

で開催された!という事なのです。

当然、普段は派が異なるので、澄泉寺さんには行くことがないわ

けです。とても貴重な経験となりました。

真宗教団連合東京支部の皆さんは、とても良い方ばかり。

仲良しです。

 


運動場所


おはようございます。住職です。

今日も良いお天気です。

先日から、朝(8時前後)に30分~40分ほど、運動

(早歩きやジョギング)をしようと思いつつ、なかなか始められ

ません。

一度だけやったのですが、それっきりになってしまってます。

もちろん、理由があるのですが、余裕をもった生活をしなければ

今は朝の運動をするには厳しいと言い訳してます。

習慣になってしまえば、当たり前のようになるのですが、そこま

でいくのに、苦労があるのですね。

なぜ、こんな事を言い出したかと言えば、11月初めに、妻と

軽く歩こう!となって、いつものようにお寺近くを歩くのも、

何だか、嫌だったので、場所を変えてみたのです。

そこで、何となく向かった先が、市内の運動公園。

これまで、歩くことを目的に入ったことなかったのですが、実際

に歩いてみると、何と素晴らしい。

一周600メートルと距離まで明示されていて、歩く為、ジョギ

ングする為に整えられているかのよう。

判りやすいし、あまり人も多く無かったので、気に入ったのです

。今後は、ここを定期的に利用しようと思って、そのまま今の状

態となってます。運動をしておかないと、筋力も落ちる一方だし

、筋力が落ちれば、お腹はでるわ、カロリー消費量も下がって太

ってくるわ。何より不健康です。

そう思って、気を使いたいわけなのです。

何とか、習慣にもっていけたらいいのに。。。


トラブル


こんにちは 住職です。

ブログの更新が途絶えてしまいました。

実はトラブルでした。

金曜日の夜から急にネット接続ができなくなりました。

素人ながら、色々と可能性のある部分を確認してみたのですが、

原因が特定できず、繋がらないままの状態だったのです。

私の書斎や自宅、西照寺すべてでネットが使えなくなりました。

Wi-Fiは繋がっているし、どうやら、元の部分に原因がありそう

だ!と推測できたのですが、そのまま直接原因が不明で今日(17

日の日曜日)の14時頃までを迎えました。

西照寺には、掛け替えのない、数人のお手伝いさんが支えてくだ

さっているのですが、先ほどの休憩時に、「金曜日の夕刻頃、

旧本堂の外の電源を利用し、作業をした時、ヒューズがとんでし

まい、慌てて作業を中止したんですよ!」と教えてくれました。

・・・「原因はそれだ!」と思い、急遽、旧本堂の分電盤に。

ブレーカーの一部が落ちていたのです。

金曜日にヒューズがとんだ後、それを知った他のお手伝いさんが

当日に分電盤のブレーカーをあげてくださったそうなのですが

、一か所だけ下がったままになっていたのです。

その部分が下がったままとなっており、どうやらネットにも影響

がでていたようです。

ブレーカーの一部が下がっていた為、西照寺の旧本堂の屋外トイ

レの電気もつかなかったようです。

「旧本堂にある外トイレの電気がつかない!」との声から、

そういえば「金曜日にヒューズがとんだ・・・」との話がでてき

て、ようやく事態が判明した!という流れです。良かった!

今回は、ブレーカーの一部だけ下がったままだったので、

広く停電が起きていたわけでもなく、その事に気づき辛い

事態でした。屋外トイレがつかない!との声が届けられ、

金曜日にブレーカーが落ちた件を聞いたので気付けました。

それらがなければ、全く気づけませんでした。

それこそ、明日、NTTさんに電話して、担当の方に来てもら

うつもりだったくらいです。

良かった良かった!助かった!


報恩講


おはようございます。住職です。

現在、築地本願寺では報恩講が営まれております。

16日までです。

報恩講とは、浄土真宗の宗祖とされる親鸞聖人のご命日を

縁に、私たちがその教えに出遇わせていただいたことに感謝し

営む法要なのです。

親鸞聖人の命日は旧暦でいうと11月28日。

それを新暦にすると、1月16日に該当します。

そのことから、浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺では

1月16日にあわせて報恩講が一週間ほど営まれるのです。

築地本願寺は、本山の直属寺院なので、1月には行いません。

そこで、11月に営んでいるのだと思われます。

ただし、11月28日ではありません。なぜか、11月16日ま

で5日ほど営まれているのです。

因みに、西照寺ではご本山と、築地本願寺に配慮し、11月28

日に報恩講を営んでいるのです。

因みに因みに、浄土真宗大谷派の本山東本願寺では11月28日

に報恩講を営んでいたと思います。


訃報を聞くと


こんにちは 住職です。

日に日に季節の移り変わりを感じられます。

日々、気温の変化を感じられる季節は、体調も不調になったり

落ち着きません。気持ち的にも沈むことがありますね。

西照寺は色々な連絡や問い合わせを頂戴しますが、悲しい連絡を

耳にすることもあります。

存じ上げない方であっても、訃報を聞けば、気持ちは沈みます。

人間ですからね。仕方ないのです。こればかりは慣れませんね。

生物は、生まれてくれば必ず死ななければなりません。

生まれてきて、死なないという生き物はいません。

長短の違いはあっても、生まれたら最後、必ず死ななくてはいけ

ないのです。頭でわかっていても、心は追いつかないのが人間で

すね。私は僧侶として生きてきて、毎回それを痛感してます。

死別は悲しいし、特に身近な人の死別は、きっと何度経験した

としても、慣れません。失敗や挫折とは根本的に違うのです。

 

 

 


段々と寒くなってきました。羽毛布団の機能を発揮させないと。


こんにちは 住職です。

昨日とは変わって、暖かく気持ちの良い日中になりました。

この位が丁度いいですね。過ごしやすい。

私は暖かい日が好きです。寒いのは嫌。

最近、早朝が寒くなったので、毛布の枚数を増やしました。

羽毛布団なんですが、どうも寒いと毛布を補充したくなるのです

でも、確か、去年だったか、今年だったか、羽毛布団は毛布を入

れたらダメだったような情報を、ブログでアップしたような記憶

もあります。どうだったっけ?

羽毛布団は、羽毛布団だけの方が、効力を発揮する!とか何とか

だったような薄い記憶があったように思い出しました。

後でちょっとチェックしてみます。

寒いの嫌なので、ついつい毛布を増やそうとしてしまうのです。

毛布が多いと、今度はその重みに身体がやられ、起きたら

身体が痛いというか、疲れていると感じます。

それを数年前に学び、以降、なるべく毛布をかけないように

羽毛布団を購入したのです。

でも、一年が経過をし、段々と寒くなると、どうしても毛布の

枚数を増やしたくなるのです。

羽毛布団を購入した当時を思い出し、最善の方法を探ろうと思い

ます。寒いの嫌だ~。

 


後押しして 失敗や挫折がこわい


おはようございます。住職です。

今年はまだ終わっておりませんが、私にとって

とても変化ある年となってます。

先日の総代の件もそうですし、私の個人的学びについても

大きな年となりました。

ここまで、色々と苦労や挫折を繰り返してきました。

この一年は、それが例年にも増して多かった年だと思えます。

周りの方から言わせると、順調に見えるのかもしれませんが、

確かに、ある部分では順調に見えたとしても、異なる部分で相当

の苦労や挫折、失敗をしているのです。

それは見られていないだけなのです。

昔の、まだ挫折とかに恐怖を覚えていた自分に、今の自分が言え

ることとすれば、挫折や失敗なんて、何度も繰り返すと恐怖どこ

ろか、慣れてくる。ダメージも少なくなるよ!

もちろん、挫折や失敗すれば、今でも涙を流すし、落ち込むんだ

けど、それでもめげないし、下を向かなくなる。

それはメンタルが強いとかではなくて、経験値の問題。

何度も経験すると、強くなる。

挫折や失敗は、真剣に取り組むからこそ経験できるもの。

だから、学びが大きいのだと思います。

学びが大きい挫折や失敗を繰り返すことで、それらに対し

いつしか恐怖心が克服され、成長の種と思えるようになってきま

す。

でも、慣れていないと挫折や失敗はとても怖いものです。

怖いから失敗を恐れて歩みを止めてしまうこともあるでしょう。

それはそれでいいと思います。

私の場合は、幼少期から勉強が嫌いで、学校の成績もいつも悪か

ったので、いつの間にか、自分は劣っている人間なんだ!と

思うようになって、自分を受け入れてあげることができなくなっ

ていました。

その為、大学までは、自分に全然自信が持てなかったのです。

でも、大学でそんな自分と決別することにしました。

何も真剣に取り組んでこなかった人生を振り返り、このまま

だと人生を後悔する時がくるかも!と自分のアンテナが働き、

そこで、命がけの勉強を始めたのです。

それから、自分も命がけで事にあたれば、ある程度はできるん

だ!と自分を受け入れることができたのです。

しかし、ある程度できても、失敗はします。挫折も。

でも、命がけでやってたら、悔しさ倍増ですが、その分

見返りも大きいのです。

当然今でも40過ぎのおっさんですが、真剣にやっているもので

あれば、失敗すれば悔しくて、情けなくて泣きます。挫折を味わ

うのです。

今年はすでに異なる案件で2回も泣きました。

でも泣いていいのです。そこには男が泣くだけの価値があるので

す。自分はまだまだだ!と思い知らされますし、驕りが消えてい

きます。慢心って言葉の意味が、よくわからなくなってきます。

「失敗して当たり前。失敗しない人なんていません。」

因みに、この言葉も今年修得しました。

失敗や挫折をしない人生よりも、沢山経験する人生の方が、私は

好きです。そこに成長や人間的な学びがあるから。

失敗や挫折を恐れ無くなれれば、挑戦ができるようになります。

大怪我しない挑戦を沢山することが大事!

何か始めるかどうか、迷っている人がいたとしたら、命がけでや

る!と腹決めて、やってみましょう!

私も仲間です。

 

 


今の西照寺の基礎を築いた方々


おはようございます。住職です。

西照寺が当地に移転してきて、39年が経ちます。

それまでは、東京都板橋区に西照寺はありました。

今から40数年前、西照寺を埼玉の当地に移転する為、私の父親は

苦心していたそうです。(移転の理由は、綴る機会があれば後日

に)

その際、同じ板橋区で浄土真宗のご門徒であった不動産業を

営んでいたIさんと巡り合い、色々とご協力いただいたそうです。

その他にも、私の父親の義父(私の母の父親)が主な協力者

となって、ようやく西照寺が当地へと移転したのです。

あと約半年ほどで西照寺が移転をして40年が経過します。

その不動産業のIさんが当地を見つけてくださり、お寺の許認可

や近隣へのお許しなどを取得する為、色々と動いてくださったと

聞いています。その後、Iさんは、西照寺のご門徒になられ、

もちろん、お寺に貢献してくださったこともあり、現西照寺の

初代総代にご着任いただくこととなります。

そのIさんが、先日、ついにご往生なされました。

昨夜と今日が、Iさんのお通夜とご葬儀となります。

急な法務となりましたが、西照寺の移転という、通常あまり

考えられないお寺の移転という大事業に、多大なる貢献を下さっ

た総代のご葬儀です。西照寺のご本堂で勤めさせていただきます

。もちろん、前住職が導師、私が結集につかせていただきます。

慌ただしい中に、突然総代のご往生の知らせが届き、気持ち的に

も憔悴しました。私の祖父(父親の義父)も、私が大学4年生の

頃、往生されました。それから約20年。今度は総代が。

諸行無常と言いますが、今の西照寺基盤を築かれた中心人物が往

生されていく現実に直面すると、何だか寂しくなるというのか、

頼れなくなり、心許ないというのか、表現が難しいですが、

気持ち的に重いです。

 

 


バランス


おはようございます。住職です。

今月は、隔日更新となっていますね。

意識しているわけではありません。

たまたまです。

以前綴ったか忘れましたが、本来の予定では

文化財鑑賞会が終わったら、少し楽になるはずだったのです。

それが現況、逆になってます。

急に猛烈に忙しなくなってしまいました。

現在は、その真っただ中。

毎回、結局こうなるのです。本当に不思議。

なんで、ようやく楽になる!と思うと、その時に合わせたかのよ

うに、急に予定が入ってきます。

もっとも、こちらが忙しない時であれば、断るしかないのですが

どういう訳か、こちらが大丈夫な時に限って入ってくる。

これが摩訶不思議なわけです。どうしてなんだろう?

特に私の妻は、毎回こんな現況を見ているので、そういう定めな

んだよ!と言い出しました。あとは、私が断らないから、結局

ずっと変わらないよ。とも言ってます。

確かに!

でも、仕事でも何でも、必要とされるということは有難いことで

す。

私はそれをなぜか猛烈に実感していて、もちろん、忙しない日々

に愚痴がでるのですが、ご依頼されたことは本当に有難く思って

います。どうしても人間ですから、余裕がなくなったり、疲れた

りするので、その時は愚痴を言って不満を吐出し、前を向くこと

ができるようにするのです。

一時期、自宅で愚痴を言っていたら、家族から、そんな話は聞き

たくない!とか、また愚痴が始まった!と呆れられたので、

もう「聞いてくれない!」「所詮家族だってわかってくれないん

だ!」と諦め、ブログで綴ることとしています(笑)

ブログを読んでくれる人が少なくなったりして(笑)

でもね、皆さん、お坊さんの私だって不満は沢山あるのです。

自分の思い通りにいかなければ、不満や苦痛がでてくるものです

それが生きているってこと! 普通の人間だってこと!

それを言い方を変えれば、迷いの世界に生きている者と

仏教では言うのです。俗の世界とも。

一方で、悟りの世界は、不満や苦痛が解決された世界のこと。

生きている以上、どうしても不満や苦痛は解決されません。

それとどのように向きあって、よりよく生きて生けるのか?

それを説くのが、浄土真宗。素晴らしい教えですよ。

さて、今の私を内省してみると、苦しみをブログで吐出し、

自分を保ちながら、前進したいと思っています。

不満を吐き出さなければ、きっと私は潰れてしまいます。

前も向けない。だけど、不満は吐き出しながらも、一方で感謝

の気持ちも同じくらい保てるのが大事だと思っています。

今回の件で言えば、忙しくて疲れる不満を吐出しながらも、

必要とされる有難さに感謝ができるのです。

どちらか一方だけ!というのは、浄土真宗の教えには

合致しません。

私の至らなさ(不満を言うとか)を自覚するのと同時に、

そんな私を受け止めてくれる(必要としてくれる)ものに

気付ける、気づけるから感謝できる。

そんな両面があって、バランスがとれることとなります。