越谷市へ


おはようございます。副住です。

今日は越谷市の光善寺さまの報恩講に

お参りさせていただきます。

東松山市ではスリーデーマーチが開催

されており、最終日だと思いますが、

昨日とは異なり、寒い一日となりそうです。

雨が降らなければいいのですがね。

さてさて、頑張ってきます。

 


文化財鑑賞会(本物を体感できる会)


おはようございます。副住です。

昨日で連載は終わりです。

今日は、2018 秋 西照寺文化財鑑賞会です。

昨日に続いて、今日が文化の日なのでメインとなります。

「本物」に体感できる場所として、開催しておりますので、

是非、お越しいただければと思います。

寄贈者の願いに応える為、今後、連載した内容を意識し

新たに出直す所存です。

西照寺文化財鑑賞会は本日の10時から14時まで。

次は、5月の下旬か、6月上旬に開催予定です。

 

 


本物とは何か(本物を体感する機会! 西照寺文化財鑑賞会)


おはようございます。副住です。

私がなぜ、上記のような(本物とは何か)ということを言い出し

たのかと言えば、この2~3年の間に、ある方から託された任務

が影響している。その方はご高齢で、自身がこれまで大切にして

きた「本物」を後世に伝えて欲しいと、西照寺に「本物」を託

(寄贈)してくださっている。

その方との約束で、私が管理者となり、寄贈された「本物」に、

人々が直接触れられる機会を年間2回開催することとなったの

だ。それが「西照寺文化財鑑賞会」である。

ただし、この2~3年間、私は毎月鎌倉まで通い、その方が西照

寺に託した「文化財鑑賞会を通して後世に伝えたいこと」を聞い

てきたつもりであったが、これまで中々その本意を理解できずに

きたのである。

実は、その方が「後世に伝えたいこと」の内容が、私の中で判明

したのが、つい先日であったのだ。これまで2~3年の間、何度

も鎌倉に通い、また手紙のやり取りを通じながら、私なりに理解

しようとしてきたのだが、中々解らなかった。それはそうだろ

う。私自身が「本物」ということを知らなかったのだから。

その方は、「文化財鑑賞会」を通じて、多くの方に「本物」に触

れる場をつくり、「本物」を体感することで、後世の人々に夢や

癒しを与えて欲しいと願っていたのだ。誠に恥ずかしい話である

が、私はようやくそのことが先日理解できたのだ。

これまで「西照寺文化財鑑賞会」は、5回ほど開催してきたが、

開催に際して私が意識していた部分が、その方の意図とは異なっ

ていたこともあり、誠に軸がズレた会となってしまっていたので

ある。ここで、軌道修正を行い、今後は「本物」を知りたい方だ

けに来ていただきたいと思っている。もちろん、少しでも興味が

あれば来ていただければと思っている。ただし、大変貴重な「本

物」に直接触れられる会であるから、真剣に見ていただきたい。

私も管理者として、その方の想いを理解できた今、「本物」を

理解できて来た段階にあるのだろう。ここに、それらを少し紹介

していければと思い、以後、当ブログで「本物」をご紹介してみ

たい。「本物」はブログで見るだけでは伝わらない。自分の手に

取って、その感触に触れ、体感するしかないのである。「西照寺

文化財鑑賞会」は、年間2回定期的に開催をする約束なので、是

非、その際足を運んで欲しいと思う。もちろん、都合がつかなけ

れば、西照寺に問い合わせをして欲しい。こちらの都合があえ

ば、例外的にその機会を提供できればと考えている。それが寄贈

者の願いであるからだ。

 


2018秋 西照寺文化財鑑賞会


今日のブログは二本立てです。

日々の連載と関連があるイベントを明日明後日と開催します。

「2018秋 西照寺文化財鑑賞会」です。

「本物」を、実際に手で触れ、体感いただける会を目的として

います。

西照寺 文化財鑑賞会

開催についてです。

開催期間:2018年11月2日~3日

時間:10時~14時まで

場所:西照寺本堂(埼玉県東松山市大谷2560-4)

お問合せ (0493-39-1445)

因みに、以前お越しくださった方が、写真などを含め、ブログで

アップしてくださっていたので、そちらもご紹介させていただき

ます。

西照寺文化財鑑賞会 本物を体感する

 

 


本物とは何か(その8)


こんにちは 副住です。

さて、話を日本刀に戻そう。美術館や博物館にあるケースに入っ

たままの日本刀は、鑑賞者自身が手にとって触れることができな

いので、光の当て加減など、見る者側の都合で扱えない。

直接に触れられなければ、刃紋や地肌そのものが見えないし、若

干見えたとしても、それぞれの日本刀の刃紋や地肌の見え方に違

いがあることにも気づけない。

現代の文化財は保存を目的とする為、国宝級や文化財級の日本刀

はケースに入れられて、実際に手にして気軽に見ることができ

る環境にはないのである。

だから専門家であっても、自身の専門分野の「本物」というも

のが何かがわからないという事態となってしまっているのであ

る。当然素人にとっては、尚の事であろう。

 

もはや、このような環境の中では、「本物を見分ける目」を養う

ことは難しいのである。

本物を知らない(知ることができない)ということは、何が良い

もので、何が悪いものなのか?ということがわからない、という

ことなのである。これでは全く面白くない。そもそも良し悪しが

わからなければ、追求心や探求心、向上心がでてこないだろう。

だからこそ夢など描きづらいことに繋がってしまう。

 

さて、これら骨董品の例えによって「本物」についての内容を

綴ってきたが、ここで話を軸に戻してみよう。「あの人は本物

だ」とか「あの会社は本物だ」などと言われる「本物」とは何

か?ということであった。

この場合の「本物」が意図する内容はおそらく【「その人その

もの」が、信念を持ちながら、無駄なことをせず、やらねばなら

ないことを手間暇かけ、きちんと実行している人生を歩んでいる

人(極まっている人)】と言うことができるだろう。それは会社

であっても同じである。そのような人や会社と触れ合うことがで

きた時、「本物」ということが、こちら側に伝わってくるのであ

る。一度でも「本物の人」と出会った実感がある人ならば、「本

物ではない人(偽物?)」もすぐに見分けられるだろう。人に対

しても「本物」と、「そうでない者」の判別基準ができることと

なる。きっと、「本物の人」を知った人であるならば、「本物」

への憧れができるだろう。それが「本物」の魅力であり、凄さな

のだ。ここに向上心や夢がでてくるのではないか。「本物」は

様々な分野にある。人であったり、会社であったり、陶器であっ

たり、絵画であったり、料理であったり、武具であったり、その

他いろいろある。それぞれの「本物」を体感することが大事であ

る。できれば、多くの分野の多くの「本物」を体感すべきであ

る。それらを体感できた時、「本物」の凄さに触発され、興味が

湧いてくる。その先に、探求心や憧れ、夢などが湧いてくるので

ある。つまり、換言すればワクワク感が生まれてくるのだ。面白

いと思える気持ちが生まれてくる。夢ができる。向上心がでてく

る。追求心・探求心が深まっていく。良いことだらけだ。だから

こそ、「本物」を体感できる機会が大事だと、今、私は言ってい

るのだ。できれば、幼少期とか、子どもの時代に、そんな場を体

感して欲しいと思う。もちろん、大人になってからでも構わな

い。でも幼少期の感受性は凄いし、何よりも大人よりも未来があ

る。だからこそ、子ども達にこそ「本物」を体感する場を提供す

べきなのだ。