おはようございます。副住です。
ようやく、自坊の法務が落ち着き、少しホッとしてます。
さて、個人的に不思議と感じるだけですが、新元号が始まる
と同時期に、合わせたかのように、ようやく西照寺方針が完成し
ました。狙ったわけでもなく、意識したわけでもないのです。
たまたまですが、10数年来の懸念事項の一つがようやく
一つの方向性をみたのが、今月。つまり、新元号の令和が発表さ
れた月となりました。来月からいよいよ令和。
西照寺も、方向性が決まったことで、それを形にしていく作業が
来月からとなります。
西照寺の方向性は、私が20年来悩み続けてきたことなのです。
今後のお寺ってどうなっていくのか!?との不安から悩みが深
まった問題なのです。
今のお寺は、どこも存在していくことに不安を感じているはずで
す。お寺離れというのか、お葬式をやらない人もでてきたし、
戒名(浄土真宗では法名)いらない!という人もおられます。
墓じまいもあれば、従来の価値観が通じない社会に変化してきま
した。
つまり、昔の家社会や地域社会が色濃かった時代では、
上記の習慣も守られていたし、社会的に同じ価値観を有していた
のです。
それが、皆がバラバラとなって家社会から核家族へ。
地域共同社会も個別主義社会へ、環境が変化してきた中でお寺の
存在意義が問われている現在なのです。
お寺って、関係ないじゃん!と考える人が多くなった!というわ
けです。こうなると、お寺も存在意義が問われるわけです。
現状のお寺の活動に対して存在意義が問われてくると、お寺は厳
しくなってきますね。当然経営もできなくなってきます。
経営ができないということは、潰れていくことを意味します。
このような流れが、現在のお寺を取り巻く環境なのです。
私は、この現況を学生の頃から、何となく予測してました。
お寺って何の為にあるのだろう? 現代に適応するお寺って!?
など、私は大学生の頃から、つまり20年程前から考えていまし
た。当時は、そんな事考えている友人もあまりいませんでした。
自分で言うのも変ですが、私はお寺に関して時代を先読みするア
ンテナが敏感だったのでしょうね。
しかし、そんな疑問を感じながらも、どう対処していけば良いの
か、全くわかりません。その後、15年ほど、具体的な行動も
わからず、この問題は放置状態でした。
そんなある時、35歳の頃、縁あって、非営利組織の経営につい
ての学びを深める機会と出会いました。
それが「未来の住職塾」という塾でした。
そこで、経営を含め組織を動かす為には、何が大事でどうやっ
ていけばいいのか!?などの方法論などを学ぶこととなります。
当然ながら、当時は知識だけ学んでました。
ただし、この考え方は、JCでも通用したし、たぶん、社会全般的
に通じる考え方なのだと思っています。
その後、知識での学びを、実務に落とし込んでいきました。
試行錯誤しながら、そこから足掛け7年。
ようやく自分で納得できるビジョンが完成したのです。
ただし、あくまでもビジョン。
このビジョンを実現する具体的取り組みが不可欠となります。
しかし、これまでどこもやったことがないであろう理想的ビジョ
ンであるので、ビジョンをどうやって活動に結び付ければよいの
か、問題は山積です。
ここまでくると、あとは発想力の問題。私だけでは無理ですし、
若い人の考え方や発想力がものを言います。
まさにイノベーションを起こさないといけない!のです。
土台がようやくできたのに、その上に建てる建物が決まらない!
そんな状態です。来月から、少しづつどんな建物にするか!?を
考え込んでいかなければならないのですが、この土台の上に建て
られる建物は、どんなものでも建ち得るので、上手くできれば
素晴らしいものができるけど、下手をすれば、何も建たないで
終ってしまう可能性もあるのです。
私は今だから一つ分かったことがあります!
ビジョンを示せても、周りをやる気にさせられるような影響力を
もたないと、その先には進めません。
ビジョンを示せても、周りが「無理でしょ!」「何やるの?」
とやる気の前に、動揺を起こすと、先に進めなくなります。
そこで、西照寺は新たなステージに踏み出さねばならないわけで
すが、そこには若い人の発想や興味が必要不可欠です。
普通に考えれば、たぶん20代から40歳までの。
もしかしたら16歳位からでもいいのかもしれません。
もちろん、40歳を過ぎててもいいので、どなたか
西照寺イノベーションに興味をもってくださる方
おられませんか?
今はネット会議もできるし、私が考えたビジョン説明も
させていただきますし、仲間になってほしいです。
楽しい場にしますし、活躍できる場とさせます。
ということで、今から私は仲間探しをしていくことと
なります。どこで、どんな方と出会えるかはわかりません。
人との出会いって、重要だと聞きます。
成功するか、しないか、人との出会いであると聞きますが、
本当にそうだろうな。と思わされています。
今、ようやく西照寺は、ここまできました。
あとは人との出会いだと思います。
ビジョンは作れたけど、仲間との出会いがなければ
先に進めないし、没になることも大いにあるでしょう。
あとは運だ! もう自分ではどうにもならない。
私にとって、令和という時代は、西照寺ビジョンに共感してくれ
、一緒に歩んでくれる仲間ができるかどうかの時代ということと
なります。さてさて、どうなるもんだか。
因みに、このブログをみて、少しでも話聞いてもいいよ!と
興味を持って下さる方がおられたら、ぜひ、コメントにでも
入れてください。出会いなんて、ふとしたことからだから。