稲城選恵和上のご往生


こんにちは 副住です。

昨日はご葬儀の為、朝から自宅を出発。
ご葬儀を終え、そのまま築地へ。
築地本願寺で着替えを終え、そのまま浜離宮朝日ホールで落語の会の準備。
本番を終え、帰宅してきたのが、22時半頃。
疲れていたので、そのまま食事・お風呂を終え、23時半頃就寝してしまいました。
就寝前に、高倉健さんがお亡くなりになったとTVで知り、驚きながら就寝しました。

昨日の落語では、柳家さん喬師匠の噺を生で聞きました。
素晴らしいですね。
お噺だけなのに、鮮明に情景が思い浮かべられるのです。
また、お顔から滲み出る雰囲気も手伝ってか、噺にのめりこめるのです。
感服いたしました。

控え室で師匠と共に過ごさせていただきましたが、その際、色々とお話を伺えました。
どれも興味深いことばかり。

私はその後、対談だったのですが、対談のことよりも、師匠の話に興味津々。
その為か、対談にまったく緊張感のないまま突入してしまいました。
対談は、正直、纏まりがない感じとなってしまい、対談の難しさを痛感してしまうこととなってしまったのですが。

昨日の学びは、まったく緊張しないというのもいけないものだったということ。
本番では適度な緊張感を持たないといけないようです。
私はもちろん緊張するのですが、これまでの経験によって、緊張に呑まれると力が発揮できないことを学んでいました。
その為、緊張に呑まれないことが大事だと思い、昨日は緊張しないように平常心を心がけました。
(最近メンタルトレーニングというのか、自分で少し緊張をコントロールできるようになってきたように思います。)

昨日の対談では、まったく緊張感がなく、むしろ冷静すぎ。冷静すぎて、対談の内容に入り込めなかったようです。
冷静だったので、周りがとても見えてしまいました。だから余計なことを考えてしまった。
対談中、「この話の展開は難しいのでは?専門的すぎないか?」 「もう少し一般的な「あるある系」の話を聞いてみた方が皆さん聞きやすいかも」などと余計な思案をしてしまったのです。
きっと、対談では 余計なことを気にせず、お相手の話にのめり込んでいく方がよかったのかもしれないと反省をしました。
そこをもってすると、緊張に呑まれないくらいの適度な緊張感でもって、お相手の話に呑めりこんでいく集中力が大切なのであろうと反省しました。
きっと集中力は適度な緊張感によってもたらされるのだろうと今では思えます。
次からは、特に大事な場面では、適度な緊張感を保ちながら、内容に集中していく状態をつくりあげることが理想であると学びました。

また、対談の難しさでしょうか?それとも私が悪かったのでしょうか? 対談では結論がでないというか、纏まらないというか。
個人的には 結論がでないというのが、とっても納得できないモヤモヤした気持ちとなります。

さて、昨日の振り返りはここで止めておきますが、昨夜 稲城選恵和上(イナギセンエ ワジョウ)がご往生されました。
稲城和上は浄土真宗本願寺派の勧学(カンガク)でした。簡単に言うと、教義に精通している方が拝命される最高位。勧学の位の方を尊称を込めて、和上(ワジョウ)さんとお呼びしてます。
私は学生時代、稲城和上の本にとてもお世話になりました。特にお世話になった本がこちら
ほん
特に右側の本「法蔵菩薩論」名著です。(絶版なので、古書でしか入手できません)
古本屋さんで数万円しました。(私にとっては、お金では変えられない価値がありました)
稲城和上は、私の中では浄土真宗の教義の巨星というか、生きる伝説のようなお方でした。
法蔵菩薩論の最終ページの筆者紹介の所に、稲城和上のお生まれ年が大正6年とあるので、100歳近いお年だろうと思います。
個人的にですが、何か大きなものを失ったような想いです。
高倉健さんの訃報も手伝ってか、1つの時代が終わったというか、そんな感じがするこの頃です。

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