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お坊さんが実践する プレッシャーと向き合う方法


おはようございます。副住です。

今日はドンよりお天気ですね。
最近(ここ3~4日)朝起きると、頭がボーとするというか、違和感を感じます。
スッキリしないような、血流が滞っているような。
塩気のものを食べているわけでもないですし、水分も普通に摂っております。
甘いものも然程、食べてもおりませんし。
睡眠不足もあるのかもしれませんが。

今月は特に、講義やご法話や講演など、お話させていただく機会が多いので、気づかれかもしれません。
もしかしたら、知らず知らずに心にストレスが溜まっているのでしょうか。
(お話させていただくことは、慣れてはいますが、やはりプレッシャーもあるようです)
しかし、嫌だとは思わないので、そういった意味でのストレスはないのだと思うのですが。
なにぶん、準備をするのに、読書や調べものと大変な労力を使うことがストレスなのかも(笑)

さてこんな時(プレッシャーを感じる時)、私は以下のようなことをしております。
静かで誰もいない場所で、一人目をつぶって心を落ち着けます。
その後、何故それがプレッシャーとなっているのかを見つめます。
例えば、“その事柄に依頼者より大きな期待がかけられている”とか、“この事で絶対失敗してはならない”とか、
色々とプレッシャーの原因は考えられると思われます。
それをじっくり考える。できれば、“何故失敗してはならないのか”まで考えてあげる。
すると、不思議とある結論に至ります。

私の場合、(プレッシャーを感じる)多くの原因は、自分の心がつくりだす“成功させなきゃならない”という過度な義務感に行き着きます。
なぜ、そんな義務感を感じるのかと言えば、おそらく私の心の奥底に、成功させることによって、自分を肯定したい心の欲求があるのだろうと感じます。
もちろん、成功すれば成功しただけ大きな自己肯定に繋がるので、うれしくなることでしょう。
そんな気持ちが、より大きな成功を求めようとして、過度な義務感に繋がるように思います。
この“過度な義務感”を知らず知らずに持ち合わせると、大変なストレスに繋がります。
私も人間ですから、このようなストレスを感じるのです。
しかし、気分が滅入ってきた時、あるいは疲れたと感じる時、心にストレスサインを感じます。
心のサインを感じたら、そのストレスがどこからもたらされているのかを 心に聞いてみます。
今回の場合であれば、プレッシャーがストレスの原因となります。

ですから、上記のようにプレッシャーの原因をさぐり、心のあり方を見つめてあげて、過度な義務感を解きほぐしてあげる必要があります。
では、どうやって解きほぐすのか。
この過度な義務感(プレッシャー)は、いわば私がつくりだした幻想です。プレッシャーの正体は私の心の欲求なのです。
より大きな自己肯定を望む心が、より大きなプレッシャーとなって私に降りかかってきます。
ですから、自己肯定を望む心を見つめてあげるのです。
そこで、自分の心に話かけてみます。
“どうしてお前は実力以上の自己肯定を望むんだ?”“自分を実力以上によりよく見せたいと振舞う道を進むと、苦しみが大きくなるぞ”
“いくら望んでも、(実力が)ないものはない”“もっと今の自分を肯定してあげたらどうだ”
心にそんな話しかけをしてあげます。
すると、これまで“過度な義務感”を背負っていた心に変化がでてきます。(←私の場合です)
“それもそうだな!よし!今自分に出来ることをやろう!”と心に納得がいきます。
そうなると、“過度な義務感”が“自分の力を惜しみなく出し切ってやろう”と変わってきます。
すると、不思議と自分のペースがでてきます。
ここまでくると、ストレスは軽減され、心が軽くなったように感じます。

このように心を整えてあげて、本番に望みます。
本番でうまくいけば、“今の自分を肯定していく”自信に繋がります。
失敗したとしても、“自分の実力不足”を認めて、次回はどうすれば成功できそうか を考えてみます。(←ここが一番大切)
あと、頑張ったのに失敗したときの言い訳ですが、“実力不足の私にお願いする方も悪いよな”と自分の中で言い訳をつくってあげることも大事です。(もちろん、自分以外にそんなことを言ったらダメですよ)あくまでも、自分一人の言い訳につかうのです。(←失敗すると、凹みます。大きすぎる傷をつくると立ち直れません。ですから、自分の逃げ道をつくってあげるのです)

以上、副住のプレッシャーと向かい合う、実践方法でした。


仏教ってどんな教え


こんにちは 副住です。

・・・越谷の勇者さまが浦学出身だということを知りませんでした。(笑 嘘でしょ?)

今日は入学式が沢山ありますね。東仏も入学式なので、今から築地に向かいます。
さてさて、連載

【1-2 苦しみの根源】
 私たちは「私」が大好きであるため、日々「私」が望むものを満たそうとしています。「私」が眠たくなれば寝ますし、食べたくなれば食事をします。しかし、条件が整えば整うほど、望むものも大きくなっていきます。これを欲と言います。「私」の欲は、とどまることをしらないのです。「私」が望む通りに、事が運べば喜ばしいですね。「私」を満足させるので嬉しくなるのです。しかし、逆なこともあります。それは「私」が望んでいることが叶わなかった時、あるいは「私」が望まないことがおこったときなどです。この時、「私」は苦しくなります。「私」の思い通りにならない場合に直面するからこそ、満足できず苦しみを感じるのです。
(もちろん「私」は人によって違うのですから、思い通りにならないケースも人によって異なります。
 「私」の思い通りにしたいという欲は、どのようにできるのでしょうか?それは生まれ持った「私」〈因〉の違いによりますし、「私」が育った環境〈縁〉も違うのですから、「私」が求めるものや、大切にしていることも異なるという構造なのです)

 さて「私」が抱く苦しみは、どうしてできあがったのかを見てきました。そこには「私」の思い通りにならない場面と遭遇したことによって「私」が苦しみを抱くという構造が明かされました。より端的に言いますと、「私」が望むことと違うことが起きたとき、「私」に苦しみがおそってくるという構造です。
 ではこの構造を軸として、「私」の苦しみを解消させる方法を考えるならば、どうしたら「私」の苦しみを解消できるでしょうか?答えは2つ。
1、「私」の思い通りにしたいという世界を実現する。
2、「私」の思い通りにしたいという欲を消す。
・・・仏教は2番目の道を進んでいったのです。


仏教ってどんな教え


こんにちは 副住です。

実は以前から浦和カウンセリング研究所という機関で仏教の講義をさせてもらってます。
内容は①仏教について講義する。②内観について講義する。
が担当させてもらっている分野です。

これまで6年ほど続いているのですが、有難いことに皆さん楽しんで受講してくださいます。
仏教に関する関心も、非常に前向きなのです。
以前からこれほど魅力的な仏教が広まっていない現状に勿体無さを感じてました。
そこで、浦和での講義に用いている原稿に手を加えブログにアップしてみることにしました。
(文章だけでは伝わらない部分もあるので、不安な箇所もありますが(^_^;))

今までは面倒だったのでやってこなかったのですが、以前、本を書くとブログで公言したこともあるので、
少しづつ書いてみようかなと思い立ちました。連載です。
副住、行けるところまで取り敢えずいってみます!

【はじめに】
 現在日本のお寺は全国に7万程あると言われています。確かコンビニよりも多い数です。そう考えると、お寺ってコンビニよりも身近な存在なのですね。でも、悲しいことにコンビニほど便利な存在ではなさそうですが(つд⊂)
さて、お寺は皆同じ仏教という教えに基づいています。しかし同じ仏教であるにも関わらず、宗派というものに分かれています。例えば、浄土真宗であったり、真言宗だったり。日本には主だった宗派だけでも13の宗派があるのです。これほど分かれていると仏教に興味がでてきても、果たして「どのお寺にいけばいいの?」とか、あるいは「どの宗派がいいの?」と一歩が踏み出せない場合が多いのではないでしょうか。そんな皆さんの疑問を推測して 副住はこれから文章で伝える努力をしていこうと思いました。
簡単にそして身近に、できれば皆さんに読んでもらい易いような内容を綴っていきたいと思います。

《仏教ってどんな教え?》
【1-1 私(自分)とは】
 さてこれから、そもそも仏教とはどんな教えなの?という部分に視点をあてて綴ってみましょう。
唐突ですが、皆さんには好きな食物ってありますか?私が好きなものはウェハース、島らっきょう、パクチー、ネギとかです。因みに嫌いなものは餡子(坊さんが餡子を嫌いなのは致命的(つд⊂))、和菓子(こちらも致命的(つд⊂))、鮒寿司とかです。皆さんにも色々あると思いますが、私(副住)の好きなものが嫌いであったり、私(副住)の嫌いなものが好きであったりする方もあるでしょう。
でも、どうして人によって好みに違いができてしまうのでしょうか?・・・それは生まれ持って(親の遺伝子)の影響〈因〉、さらには、育っていく環境〈縁〉、これらを背景として、「私」の好みが決まってくるのでしょう。当然、人によって生まれ持つ影響〈因〉と育つ環境〈縁〉は異なるので、好みも色々と違うことになるのでしょう。だから「私」が美味しいと思えば好きな物になるし、不味いと思えば嫌いな物になるわけです。人によって「私」という基準が違うので、判断が分かれてしまう!だから人によって好みに違いが生まれてしまう!という論理ですね。

仏教では、この「私」ということに視点をあてていきます。
ではここで皆さんに質問です。皆さん、「私」とは何だと思いますか?あるいは、どんなものだと思いますか?・・・「私」とは「私のことを私だと思う心」のことです。仏教ではそれを「我」(ガ)と呼んだりします。(EX.面白いことがあります。例えば、皆さん、自分(私)を客観的にみてください! どうぞ、やってみてください。・・・自分(私)を客観的にみれました?どうですか?・・・自分(私)を客観的にみていた自分(私)がいませんでしたか?・・・このように私たちは、結局は自分(私)という心から抜け出せないのです。つまり自分(私)と思う心にとらわれてしまっています。仏教では、どんな人も根源的な共通点として「私」をもっているといわれます。当然のことですね)
この「私」が厄介なのです。私たちはこの「私」が大好きです。換言すると「私」に執着し〈とらわれ〉ています。「私」にとらわれているから、意識がある中では、常に「私」がおりますね。


仏教Q&A


こんにちは 副住です。

先日、寺務からこんなことを言われました。
「一般の人(お寺以外の人)がお坊さんに聞きたいことってあると思います。
でも住職とかには聞きづらいし、疑問がそのままになってしまうことも多いんじゃないかと思います。
副住職の立場で質問されることがあるのなら、そんな情報をブログでアップしてみてはいかがですか?」

なるほどな、と思い自分(副住)が今まで聞かれた質問を思い出してみました。
私たちからすれば、「え!?」とそんなところに疑問をもたれるんだ!(゚д゚)と感じることもしばしばです。

そんな寺務からの提案にのって、今後たまに「仏教Q&A」(主に浄土真宗)を綴ってみようと思います。
今日は第1回目。法名について。
法名とは、浄土真宗でいただく法の世界に生きるお名前のこと。
法名は生きている時に、これからは阿弥陀様の教えをいただきながら生きてまいります。ということを明確にするために
いただく名前のことです。多くは亡くなった後にいただく形となっていますが、本来は生前からいただくものです。
法名の形は釋○○(シャク○○)と三文字です。(別に院号というものがあって、それは○○院釋○○となります)

・法名について、お祖父さまのご葬儀でこんな質問が。
「あの~、お祖父ちゃんの法名なのですが、釈○○となっていて、釋○○ではありませんが、いいのでしょうか?
亡き両親からは、男性は釋がついて、女性は釈となるんだよ。と聞いたことがありますが、お祖父ちゃんは男性ですが釈となってます。
間違いではありませんか?」との質問でした。

回答はこうです。釋も釈も同じです。旧字と新字の違いです。男性に釋、女性に釈という決まりはありませんよ。
もしかしたら、地域によってそのようなことを言われる地域があったのかもしれませんが、本来分けるべきものとして使用されてはいませんよ。
とお答えいたしました。
「そうだったんですか。ありがとうございます。安心しました。」と安心なさっておられました。
因みに釋OR釈(シャク)の字は、おさとりを開かれたお釈迦様の釈の時をとって、お釈迦様と同じおさとりの世界に往くのですよという意味で付けられています。


風邪を引かない・早く治す方法!


こんにちは。本稿西照寺ネット運営スタッフがお書きします。インフルエンザや風邪、まさに今の季節ピークですね。先日ひどい風邪で寝込みました。気をつけていますが、どうしても・・・。
そこで、「風邪を引かない・早く治す方法」というものを集めてみました。民間療法など、有名なものはたくさんありますが、「免疫力アップ」という観点からの方法です。病気を寄せ付けないのも治すのも、自分の体の免疫力で、それを助けてやるという事のノウハウです。実践可能な事は、ぜひお試しください。

1.早寝・しっかり寝る

最近流行りの「10時から2時まで部屋を暗くしてぐっすり寝る」説。様々なメリットが言われますが、成長ホルモンの分泌で、免疫機能がとても強化されるのだそうです。独身の人など特に「ありえない!そんな早寝」と言われるかもしれません。でも例えば「来週いっぱいまで休めない!風邪引けない」という局面、誰にでもありますよね?この方法は効果が分かりやすいので、やって損はないのではないかと思います。
3時間睡眠で有名なナポレオンの話には続きがあります。実はナポレオンは52歳の若さでがんで亡くなっています。日々元気に過ごしていたようでも、やはり免疫機能は低かったわけで、毎日の睡眠で少しづつ差がついていた事もあり得ますね。

2.発酵食品を食べる

ヨーグルト・漬物(白菜・ぬか漬・キムチ他)などの発酵食品を摂りつづけることで、風邪・ウイルス性胃腸炎※などにかかりにくく、かかっても軽く済みます。ウイルスと戦うNK細胞という細胞が、体内の七割くらい腸内にいるため、整腸は免疫力向上には”必須”なのだそうです。

 ※O-157などには効果があり、ノロウイルスは感染力が強すぎ、
  予防は難しいとのこと。ただしノロウイルスも発酵食品の摂取で、
  かかっても軽く済むそうです。

3.体を温める

 風邪を引いて熱が出るのは、病原菌増殖の抑制・白血球機能、免疫機能の促進のためだそうで、最近ではお医者さんも滅多な事では解熱の処方をしないのだそうです。それを知ったスタッフ(私)は、風邪で39度台の発熱の際に試みたことがあります。休み休み、合計20分ほども湯船に浸かる入浴で熱が下がり、身体が楽になりました。まだたった1度の経験ですが、今まで風邪の際は湯冷めなどをおそれて短時間もしくは入らないなどしてきた人生をとても悔いました。
 また、首筋やひざ、足先などを冷やさないようにすると風邪を引きにくく、引いてもひどくなりません。体温(正確には平熱)が1度違うと、免疫力が30%も違うのだそうです。

4.心の動き

 日常生活で、どんな心もちで暮らすかで、免疫力の働きに大きな差が出てくるそうです。
具体的に良いとされている方向は・・・・
信じること、受け入れること、感謝すること、喜ぶこと、笑うこと などです。
仏教の教えにシンクロする部分が多々あると申しますのはお寺のブログとして当然(笑)ですが、日常で仏壇やお墓に向き合う時に、ご自身の人生と向き合う気持ちが生まれる事と思います。どうもそこに大事なポイントがあるようなのです。生きている事への感謝、前向きな気持ち、気持ちを楽に開放すること。仏様を前にして、自分を追い込む人はあまり居ませんね。

また、ネット上(Yahoo!知恵袋への回答)でこんなことを書いている方がいました。
(あまりにも感心・納得して引用します)
「自分を悪人だと考えて悩んでいると免疫が低下します。悪人こそが救われると説くことで自分が悪人だと思って悩んでいる人の免疫を向上させるのが悪人正機説※です。」

 ※悪人正機説とは、浄土真宗の開祖・親鸞聖人が弘めた思想です。

こころと身体の結び付きというのに、科学による解明が追い付いてきたのかも知れませんね。病は気から?? この点はまだまだ調査不足です。もっと勉強してみたいと思います。
ただ・・・
仏道に帰依し、感謝の心を説かれる機会も多い我らが副住職が、風邪を引きまくっておられる現状を見るにつけ、「忙しすぎるとよろしくない」というのも、言えますね(笑)

〈副住です。(ーー;)・・・僕が風邪をひきまくっているということは、本心から感謝ができていないからか!? 親鸞聖人はこんなことを仰られていました。
 『外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて・・・悪性侵めがたし』
 意訳・・・
外面に賢い姿をみせようとするな。
内面にはそんな心を持っていない私かもしれないのだから

 ある意味、自分を反省させられます。身体は正直ですね。これからお寺で感謝できる場を整えていき、まずは僕の免疫力を向上させられるか実験してみようと思います。これができたら、拡めようかな(笑)〉

これ以外に予防法として「手洗い」と「うがい」は確実に効果のある王道のようです。

(by西照寺ネット運営スタッフ・副住職監修&コメントありがとうございます!)