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吉見町の名産 いちご


こんにちは 副住です。

イチゴが美味しい季節となってきました。

西照寺がある東松山市の隣町の吉見町は、イチゴが名産です。

西照寺から20分ほどの距離です。

吉見町では、イチゴ狩りも盛んです。

じゃらんで紹介されてる、吉見町のいちご狩り

私もイチゴを食べますが、好きという程でもありません。

普通です。でもイチゴは美味しいですね。

近年、イチゴが好きだという方を訪ねることが多くなったので、

この季節になるとお土産に、吉見のイチゴを購入していきます。

私が吉見町でイチゴを購入する場所は、

「道の駅 いちごの里よしみ」です。

JA埼玉中央 吉見農産物直売所

ここには吉見町で採れたイチゴが大集合してます。

箱売りで、安いし、甘味の強さなどで分類されていて、

非常に買いやすいのです。もちろん、品種も様々。

ここで、お土産を買って出かけます。

購入に来るお客さんも多いので、なるべく早めがいいです。

午前中とか。ただ、イチゴも本当に沢山あるので、きっと

午後になっても、イチゴが店頭になくなれば、補充されるはず。

私はいつも午前中にいくので、午後の状態はわからないのです。

しかし、イチゴ狩りをしたい!という方は直売所はダメです。

ここではイチゴ狩りができません。

なので、近くにある個人経営のイチゴ狩りのハウスにいけば

大丈夫。もちろん各ハウスにも、イチゴは売ってるはずです。

イチゴの季節は冬。ピークはきっと1月から3月頃だったような

 

 


今、楽しいです。


おはようございます。副住です。

現在、西照寺の土台を整える為、諸々水面下で

進展中です。

私一人で進められるものでもないので、それなりに時間が

かかってしまうのです。それは仕方ありません。

そんな中、私に出来ることから始めなくてはならないので、

そちらに関しては、現在進行中です。

やることが明確になったので、あとは、そちらに専念するだけ。

ただし、自分一人でドンドン進めていけるものでもない為、

そこが少しだけ歯がゆい部分です。

どうしても、時を待たないといけない。

今だからこそ、言えることですが、やるべき事にもっと早く気づ

けていたならば、すでに完成していたことでしょう。

とはいっても、昨年末の寺田倉庫さんに研修に行ったからこそ

やっと気付けたことなので、気づけただけ良かった!と喜ばない

といけないのですが。

しかし、勉強したことで頭で理解したつもりでも、

身に落とし込まないと、本当にわかった!とはなりませんね。

頭や知識だけに頼っていても、全然ダメ。

身に落とし込ませることで、明確にわかった!と言える側面もあ

ります。しかし、わかった!と思ったことでも、それが実践して

成功するか!?という部分は別問題です。

私は今、西照寺が今後、どうしていくべきか?という部分。

つまり、方針なども部分の作り方をわかった!と言ってます。

何が大事で、どう考えていけばよいのか。今後、どのように

していくべきなのか?など、お寺の今後を、どのように考える

べきなのか?という部分を作り込む術をわかった!と言っていま

す。ただし、その答えを出したからと言って、その道が果たして

本当に素晴らしい道であるのか?まではわかりません。

ここの部分は結果論ですから。未来にならないとわからない。

だけど、今まで困っていた、西照寺はどうしていくべきなのか?

という、とても曖昧で難しい部分への問いに対し、ある種の

答えを導きだせそうな所に今いるのです。

だから、長年の私の懸案事項に対して、どうすればよいのか?と

いう道が見え隠れしている現状が、とても楽しいし、凄く興味が

あるのです。

久しぶりに、今を楽しく生きています。

 

 

 

 

 


東京仏教学院の講師は辞退


おはようございます。副住です。

今日は東京仏教学院の講義があります。

今日を含め、講義はラスト2回です。

東京仏教学院とは、築地本願寺内にある浄土真宗本願寺派

の夜間の学校です。詳細はこちら

東京仏教学院

私はご縁をいただいて、30歳の頃から講師を続けさせて

いただいております。もう10年以上となりました。

講師は、毎年更新を依頼され、継続するような形です。

私は、昨日のブログでも記載したように、現状色んな関りがあ

り、忙しなくなってしまい、来年の東京仏教学院の講師を辞退さ

せていただくこととなりました。

私は龍谷大学の文学部真宗学科の博士課程まで通いました。

これは、自分がお寺を継ぐべきか?と悩んだ結果、大嫌いな

勉強を始めたことから、そのような学歴となったまでです。

そちらの事情は過去のブログで綴りました。

お寺を継ぐ 副住職の決め方

文学部だったこともあって、在学中は博士論文がメイン(今は

コース博士。つまりPHD)だったので、論文提出ができず、

単位取得依願退学なのですが。。。(もっとも、コース博士でも大変で、私は論文提出などできなかったですが)

ただし、まだ真宗学ではコース博士もメジャーではなかった

時代でしたので、博士で単位取得依願退学でも、少しは実績とし

て見なしてくださいました。学会発表や論文も数本だけど書いて

ます。

その影響もあって、私が京都から自坊に戻るタイミング(30歳)

で、東京仏教学院の講師のお話を頂戴しました。

以来、とてもお世話になったのですが、そろそろ私も自坊の

役割を中心に考えねばならないし、そもそも学者希望でもなかっ

たので、ここら辺で、講師も引かせていただこう。

と考えたのです。周りからは若干引き留められました。

そう言っていただけただけでも、とても有難いことだと実感して

ます。

ただ、私の本来の為すべきことを考えた時、宗派の人材育成に

注力するよりも、優先すべきことがあるように思えたのです。

それに身体のことも考えると、

流石にやる事が多すぎて無理になってきてるのです。

それで、来年から東京仏教学院の講師を辞め、その他に

力を使っていこうと考えました。

ですから、私の東京仏教学院での講義も、今日と2月の1回で

最後となります。残り2回。そう考えると、どことなく寂しい気

持ちにもなるものです。あと2回を噛み締めて講義をしようと

思います。


今年の歩み予定


おはようございます。副住です。

新年を迎え、すっかりと通常の生活に戻りました。

今年は、自坊の基礎固めと、軌道に乗せていく活動を

共に行っていく為、力を自坊に注いでいく年です。

一方で、築地本願寺内の教務所での仕事は、2018年度

の流れを、具体的に形にしていく為に、後方支援的な

仕事を進めて行きます。同時に、2020年度に向けた

活動も水面下で進展させていかなければなりません。

やることが明確なので、この一年は成果がどうなるかは解らない

けど、頑張るだけなので、やりやすいのです。

その他、比企JCや子どもの学校の父母会、比企応援プロジェクト

教誨師などの外部活動も加わってくるので、そこら辺の役割は

適宜乗り切っていこうと考えています。

う~ん。外部活動が多すぎたので、一昨年くらいから減らしてき

たはずなのに、今年で再度増えてしまった。

昨年は、保護司になってくださいとご依頼されましたが、

教誨師もやっているし、あまりに業務過多だったし

他の方で相応しい方もおられると思います。と断りました。

これでも、できることだけにしようと考えているのですが、

結果、色々と関わりが多くなってしまっている現状です。

あまり多くをやると、全てが軽いもので終わってしまうので

好きではありません。やるなら、一つのことをトコトンやりたい

タイプなのです。でも、仕方ないですね。社会にでると

色々な関係ができてくるし、社会的制約がありますもんね。

体は一つしかないし、年もとる一方だし、減らさないと

いけないとは思っているんだけど。あぁ、前途多難だな。


再始動


おはようございます。副住です。

今年は、今日から築地勤務が始まります。

出勤前に更新です。

取りあえず、まずは今日から2月8日までが第一の勝負。

月末は京都出張も入っており、バタバタします。

でも、年末年始は外勤が少なかったので、身体は休めました。

自坊に居続けられたので、溜まった雑務もほとんど終わらせるこ

ともできたし、気持ちも楽です。

欲を言えば、もっとこんな状態のままいたいのですが、でも

忙しなくしていることが、自分らしくもあるし、刺激もあるので

成長できると思います。こんな環境でもなければ、甘えてしまい

成長することをやめてしまうかもしれません。

そう考えると、成長させてもらえる機会があるということは、

喜ぶべきことです。

本来喜ぶべきことなのに、それを喜べない我が身であること

をツクヅク思わされます。

 


僧衣での運転問題


こんばんは 副住です。

今日は更新が遅くなってしまいました。

朝から色々と雑務があったので。

さて、昨日のブログに関連して

今日は「僧衣での運転」についての話題にします。

昨年末、読売新聞さんの新聞記事で以下のような記事が載って

ました。『「僧衣で運転」に青切符、法事行けぬと宗派反発』。

(この記事は今、ネット上では見れなくなってしまっています)

それを見て、先月末に私が更新したブログがこちら

先月29日のブログ

さらに、年があけて福井新聞さんが10日にこのような記事を

載せてました。

僧衣で運転し反則切符

読売新聞さんの記事では、切符をきられた僧侶の宗派名は非公表

だったのですが、福井新聞さんの記事では明かされていました。

西照寺と同宗派の浄土真宗本願寺派。

反則内容が、運転に支障をきたす服装。

そんなバカな!!!

まったく支障などないわ。

警察は、僧衣の格好して、運転してみてくれ!!と

思いました。

さらに、このわけわからない規則は、各自治体によって

定められた規則らしいのです。

ということで、全国一律ではないということです。

その記事もありました。

運転者の衣服規制は15県のみ

これでは、こちらが納得できないもの仕方ないです。

因みに、この問題はこれより以前に東北でもありました。

最近(1年前後ほど)の話です。

私も知っていたので、可笑しな違反。と思い

その時、埼玉や関東のことも調べたのです。

そしたら、私がよく運転するような場所では、その規則が

なかったので、若干他人事になってたら、読売新聞さんの記事

となり、新年の福井新聞さんの記事となってます。

やっぱりオカシイですよね。

宗派が色々と検討してくださっているようなので様子見してます

が、このような自治体が動いている問題は、やはり宗派レベルで

対応してもらわないと、一寺院が不満を言ったって聞いてもらえ

ない。こんな不条理な規則が知らない間で、しかも各自治体レベ

ルで浸透していっているなんて、どうにもオカシナ状況です。

知らない間に、ルールだけが勝手にできあがってしまう。

まだ、このくらいのレベルだからいいですが、場合によっては

恐ろしいことです。私たちが知らない間に、とんでもないルール

が勝手に出来上がってしまい得る部分が問題なんです。

今の日本は、少し危険な香りがしています。

権力者が勝手にルールを決めて、ルール化できてしまう

ことを知りました。これが当然!などと思わせないように

徹底的に宗派には対応をしてほしいと思っています。


孤独死を「心配」する問題 


おはようございます。副住です。

最近、孤独死に関するニュースが話題となってますね。

私は頻繁に、ネットニュースをチェックするのですが、

最近、私が気になる話題が、「僧衣での運転について」の

ニュースと、「孤独死」に関するニュースです。

「僧衣での運転について」の話題は、後日にしましょう。

今日は「孤独死」についての記事と、それに関して思うことを

綴りたいと思います。

まずは、こちらの記事です。

葬儀現場の悲痛

そして、こちらも

自分の孤独死「心配」

両記事ともに、最近アップされたニュースです。

最初の記事が、週刊女性PRIME。そして後のが朝日新聞デジタル

の記事。

週刊女性PRIMEは朝日系列でもなさそうなので、両記事は

別の母体から出されているという事実が重要。

「孤独死」に関して、何か大きな情報がだされたのかもしれませ

ん。そう考えると、朝日新聞の世論調査が影響したのかもしれま

ないとも受け取れます。

さてさて、ここではそのような裏掘りが大事なのではなくて、

記事の内容にフォーカスしてみたいと思います。

私は以前、宗派の研究所に属していた時、首都圏で葬儀の調査研

究を任されておりました。

当時は首都圏での直葬が話題となっていた時期であり、

宗派としても、今後葬儀がどうなっていくのか?と気になった

のでしょう。特に首都圏の事情というのは、いずれ全国に派生

していくこととなるので、重要な位置づけだったわけです。

その際、私も色々な葬儀社さんから聞き取り調査をしたのですが

、「直葬」の背景には「孤独死」という現代事情もあることを

知ったのです。さらにそこから派生した「遺骨問題」もありまし

た。

「直葬」とは、葬送(死から埋葬に至るまでの一連の流れ)の

過程の中に、宗教儀礼などを行わないで、直接遺体を火葬して

しまうことを言います。(定義は葬儀社さんによって違い、はっ

きりしていませんが、おおよそ、そんな理解で良いと思います)

直葬は昔からあったようで、特に身寄りのいない自死者の方が

おられた際に行われていたとのことです。

警察が検死し、その後、ご遺体の引受人がおられない時に、

ひっそりと直葬が行われていたのです。

それが現代、葬儀にお金をかけたくないというニーズが高まり

極端な直葬が広まっていってしまったというのです。

ただし、気を付けないといけないことは、「お金がかからない」

=「直葬」とのイメージが先行してしまい、直葬の内容をしらな

いで、「直葬でお願いします」と依頼してくる方が多いという

事実でした。喪主さんは、「直葬」を、親族だけで葬儀を行う

「家族葬」と勘違いしているとのことです。

しかし、「直葬」専門業者さんは、「直葬」だけで利益がでる

仕組みを確立しているので、「直葬でお願いしたいのですが」と

依頼されると、喪主さんに「葬儀は行わないで、直接火葬しま

すが、それでいいのですね!?」と確認することなく、

進めてしまうそうです。それで、喪主さんは、「直葬」の実態を

勘違いしたまま、ご遺体が火葬され、後で「こんなはずでは

なかった」と後悔されることが多いと、当時葬儀社さんから

聞きました。今は、だいぶ直葬の認知もすすんだのでしょう。

最近当時ほど、直葬が話題にのぼることも少なくなって

きたように思います。

もっとも、直葬はある程度の頻度で今後も続くと思います。

しかし、落ち着きをみせるでしょう。

さて、ご遺族がおられる場合の直葬とは別に、ご遺族が

おられない場合が問題なのです。孤独死の直葬。

当時、その事実を聞かされました。

つまり、少子高齢化の現代日本では、そもそも子どもが

おられない世帯の方々が多いという現実です。

現在は核家族。昔のように土地に居続け形成されている地域社会

とは違います。親族も住んでいる場所はバラバラ。

また、親族とも疎遠な家は当然のように多くあります。

ご法事のあり方をみていてもそうです。

親族を呼ばずに、2~3人でご法事を勤められる施主さんは

もはや普通に近づいています。(もっとも回忌の年数によって

も異なりますが)

そのような状況ですから、子どもがおられない家庭で、どなたか

が亡くなる。すると自治体は親族を探して、以後の手続きなどを

任せようとする。しかし、それが上手くいかない(引き受けな

い)ケースが頻発するという現状が現代なのです。

そこには、疎遠だったり、関係論だったり、人間としての薄情な

部分であったり、様々考えられると思います。それは誰も責める

ことはできません。仕方がないことなのです。

問題は、そのような現状があるという事実です。

現代社会は、あまりに個人を優先しすぎたせいで、自己責任論が

強い風土です。ですから当然、自分の死後のことについても自己

責任論として考えていかないといけないこととなってしまってい

ます。つまり誰にも頼れない。

しかし、ある意味矛盾してしまっているのです。

自分が死んでしまっているのに、自分の死後のこと(連絡や手続

き、火葬・埋葬の実務)をどうやって考えればいいのでしょう

か?無理です。

当時から、私はこの問題について、いずれ大きな問題となるだろ

うなぁと考えていました。ようやく、そんな実態が朝日新聞の

世論調査で数値として表れてきましたね。

おそらく、高齢世代がようやくそのことを意識し始めてきた

ということでしょう。

私は、この件について昔から考えていたので、ある案をもって

いるのです。それを数年前に行おうとしていたのですが、

時期尚早だったと思っています。途中で無理だろう!となりまし

た。しかし、状況がそれを許さないほど差し迫ったならば、

もしかしたら、事態は変わるかもしれません。

今年から、実際に私の案(皆で支え合いながら、孤独死を乗り越

えていくシステム)を、もう一度実現できるか呼びかけてみよう

かと思います。全てはやり方なんです。

無理なことなんか、ないのです。ただ、出来ない。無理。と思う

ことで、先の可能性を潰してしまいます。出来なくしているのは

自分なんです。

問題なんて乗り越える為にあるものだと思います。

皆で先の世界を築き上げていきたいと思うのです。

 

 

 

 

 

 


人間なんだからミスもする


おはようございます。副住です。

昨日は西照寺法話会でした。

諸々と情報のミスが出てしまいまして、

大変申し訳ございませんでした。

昨日、ご門徒Hさんから、ご指摘いただき

別院HPのミス記載に気づき、あわてて対応致しました。

近日、削除されます。

あと、ブログに関して、投稿の内容が連日重複してるかも!?

とのご指摘もいただいたのですが、こちらは、私が確認した

部分では、判りませんでした。もしお気づきの方がおられました

ら是非ともお教えください。

このように情報公開は大切なのですが、時として間違っている

場合もあったり、忘れてしまったままの記載になってしまったり

どうしてもミスがでてしまう場合があります。

本当はいけないことなのですが、なかなか難しいものですね。

かといって、ミスを恐れて情報公開をしない!というのでは

時代への対応もできないし、発展性もないような気もします。

やっぱり、ミスがあっても時代に適応していくような姿勢は

もっておきたいな。と思います。周りにご迷惑をおかけすること

もありますが、そこは、お互いの関係論の中で、ミスをお許しい

ただけるような間柄でありたいものです。

幸い、西照寺のご門徒さんは皆、素晴らしい方々なので、

そのような関係でいられています。だから、今回もミスを

責めるのではなく、教えてくださるのです。

一方で、少しミスをしたくらいで、徹底的に叩かれる現代は、

いきすぎのように感じる時もあります。

特に、面識もなければ、相手を徹底的に攻撃する。

自分を省みることもしないから、徹底的に。

このような一面は、人間だからあると思いますが、恥ずかしい

と思えるようになりたいものです。

このブログの趣旨は、もちろん、ミスをしてもいいや!という

ことではありませんよ。頑張っているんだけど、

人間だからミスする時もある。もちろん、ミスはない方がいいし

大事な部分でミスしてはいけないと、当然思っていますよ。

 

 


やりたいこと


こんにちは 副住です。

年始から、自坊で雑務を適度にこなしながら

過ごしておりました。

最初は自坊に居れて身体的にも楽だな。と思っていたの

ですが、最近、先週あたりから諸々と雑務や仕事に関する相談が

多く入る様に。いずれも、それなりに対応しながら、私的な考え

方で応答しているのですが、それなりに考えたり調べたり頭を

使います。なので、ちょっと疲れを感じ始めてきてしまいました

やる気だった年始から、まだ2週間なのに!!!

年始から仕事のスピードは速く、手際よくやれてましたし、やる

気に満ちていました。

ここで、今更ながら気づいたことがあります。

私はどんな仕事でも、それなりに興味をもってやることにしてい

ました。でも今、はっきり判ったことがあります。

それは、自分が本当に興味ある分野と、どうしてもそう思えない

分野の仕事とでは、頭の疲れ方が違う。

興味ある分野は、あまり疲れないというか、疲れるんだけど

楽しいから疲れは気にならない。

でも、興味があまりもてない分野の仕事の場合、疲れを感じてし

まう。特に興味があまり持てない分野の文章を作成する時、

書く事はできるのだけど、気持ちがのらないし、早く疲れてしま

うのです。今更ながら、実感しています。

私はどの分野でも、知らないからこそ「疑問」から入ります。

だから、それなりに調べようとするし、調べていくのですが、

どうしても興味がもてない分野だと、調べてみても、深い探求心

がもてず、表面的に終えてしまいます。これはもう、どうしよう

もないことです。

でも、現在の仕事では、自分の興味の良し悪しには関係なく、

やらなければいけない業務がでてきたりします。

今からの時代は、興味を深く持てる仕事だけをしていけばよい。

と言われますが、本当にこれからは、そのような仕事をすること

こそが、大事になってくると思います。

だって、仕事していて楽しいし、楽しいからドンドンやれる。

楽しいから、そのことばかり考えるし、そこに自分のオリジナリ

ティを加えることもできる。もし万一成功したら、それは儲けも

の。失敗しても、やりたいことだから、後悔もしない。

ただし、これから成功する為には、興味あることを掘り下げて

いく以外に、道はあまりないのではないかとも思います。

今後は、仕事なんだけど、仕事ではない。

やりたいことが仕事!みたいな時代になりますね。

というか、もうそうなっていってますね。

本当に実感します。

私は「やりたいこと」を聞かれると、「ない」と思うのですが、

仕事をしている時に、自覚的には「やりたい」という意識はない

のですが、仕事に対し、興味がもてているか?と聞かれれば

それはあるのです。

そう考えると、自覚的に「やりたい」とは思ってなくても、

「やっていること」に対し、楽しいと思えることはあるので、

つまりは同じことなのだ!と思えるようになりました。

う~ん。深いなあ。


学校行きたくない病


おはようございます。副住です。

今日から、私の中では、通例の生活となります。

年末年始は体調も問題なかったし、外勤も入らなかったし

久々に休めました。本当は、時間も持てたので自坊の大掃除や

自宅の大掃除を念入りにやったりすべきだったのですが、

この年になり、溜まった疲れや精神的な疲弊によって、やる気が

起こらず、休息に近い時間の使い方を優先してしまいました。

もちろん、雑務や書斎の片づけ等は行いました。

久々に自坊に居られる時間が多かったので、心身共にゆっくり

できた!ということです。内心、もっとこのような状況で居続け

たいなと思っています。

そんな中、外勤で忙しなくなるのは、16日からなのです。

16日以降は、2月8日まで落ち着けないので、またまた勝負所。

インフルエンザにならないよう、体調管理に気を付けたいと思い

ます。R-1。

そんな16日が近づいてきているので、ちょっと嫌になってます。

まるで学生時代に私が抱いていた登校拒否したい心境に近い。

実は私、学校に行きたくない病でした。(←私が勝手に命名し

た私の精神的状況のことです)。

学校で「いじめ」とかにあったわけでもなく、友達も

沢山いたし、何か問題があったわけではなかったのですが、

兎に角、学校に行くのが単に「面倒だった」という理由です。

毎朝、「あ~、今日学校行きたくねぇ~。面倒くせ~」と思って

いました。

勉強も嫌いだったし、頭が悪かったので授業も解らなかったし。

部活も面倒だったので、ダラダラやってました。

学校の全てが楽しくなかった。

楽しかったのは、土日に友達と遊ぶこと。毎日土日だったらいい

のに!と真剣に思っていました。

しかし、中学になると土日にも部活があるので、それも嫌だった

何で学校ってあるんだろう!と本気で思っていました。

そんな事を常に思っていたのです。

だからこんな思い出もあります。

あれは私が中学時代でした。たまたま両親が本山(京都)

の研修に2泊3日で行かねばならない状況がありました。

私が中学に登校する時間よりも早く、両親は自宅をでました。

その時、私は瞬間的にラッキーと閃き、学校が面倒だったし

無断欠席をすることに。そのまま、両親が帰宅するまで3日間

学校を無断欠席して、遊んでいました。

当時は、何も考えない子どもだったし、気転もきかなかったの

ですが、当然後日学校から電話が入り、私の無断欠席が発覚。

両親から怒られ、その後、両親から学校に行っているか!?と

強く警戒されることとなりました。あれはまずかった。

このように、私は元来、面倒くさがりで、周りの人が普通考えも

しないようなことをやってしまう、世間知らずな部分があります

。もっとも、今は仕事を無断欠勤したりは絶対しませんが。

ただし、一般世間とズレている感覚があるのは事実です。

妻と話をしますが、妻は「学校が何であるのか?」など考えもし

ないというのです。また、学校に行きたくないと思ったこともな

いようです。凄い妻です。優秀な人だと本心から思っています。

でも、妻から言わせると、これが普通だ!というのです。

そうなのでしょうか?

その証拠なのか、私の子どもであるのに、子どもは学校に行きた

い!というのです。私の気持ちは理解できないそうです。

妻に似たようです。

だから、私は自分が変なんだ!と大人になって自覚するように

なりました。

私は世間とはズレている感覚をもっているようで、世間では当た

り前と思われている部分に疑問を感じたりします。誰でもそんな

ことあるとは思うのですが(妻から言わせれば、私はそれが多

いタイプとのようです)

そんな性格が影響したのと、疑問を解決する為、努力することを

大学時代に身につけたので、

何でお寺を継がなきゃいけないんだ!と疑問を抱いても、ちゃん

と向き合うことができましたのは良かったと思います。

ただ、何で学校があるんだ!?との疑問は、小中学生の頃は

理解できませんでしたね。今でこそ、教育は超大事!との

理解がありますが、当時の私の精神年齢では理解ができなかった

だから「学校行きたくない病」がでてしまったのです。

今も、「外勤行きたくない病」がでそうになってますが、

今は何の為に外勤をしているのか!?が理解できているので、

当日が来たら、行きたくない!などと思わないで、行かなきゃ!

となるはずです。だけど元来が面倒くさがり屋なのです。