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お彼岸 お中日


おはようございます。副住です。

今日はお彼岸の中日です。

お彼岸は1年に2回あります。春と秋。

中日は春分の日と秋分の日です。

中日を挟んで、前後3日間の合計7日間がお彼岸となります。

お彼岸の中日は太陽が真東から昇って

真西に沈みます。太陽が沈みゆく真西には

西方極楽浄土があると、お経にあります。

そのようなこともあって、お彼岸といわれるのです。

彼岸とは、彼の岸と書くでしょう。

私達がいる世界は此岸(シガン)といいます。

お彼岸は、太陽が沈みゆく方向に心を向け、

亡き方々が往かれた世界である西方浄土について思いをよせる日です。

お墓参りも大切ですね。平常な日常から離れ、仏教に心をよせて、

自分を見つめる良き日なのです。

さてさて、私は昨日は草加のお寺さんに行ってお話しをさせていただきました。

今日は千葉の松戸に呼ばれているので、行ってきます。

明日は西照寺の彼岸法要の日です。

どうぞお参りください。

11時からと13時半からと、2つ法要が行われます。

同じ法要です。

 


直葬依頼 直葬の問題点 葬儀を見直そう 葬儀の意味 


こんにちは 副住です。

今日は朝から、西照寺の別院、(通称、新東松山斎場)の管理です。
8時前にご葬儀社さんが来られるとのことだったので、私は7時すぎに入りました。

今回は、霊安室にご安置されたご遺体を、そのまま隣の火葬場に移すという形の直葬でした。
霊安室を開けるため、管理に入る必要があったのです。

最初にご葬儀社さんが到着され、ご遺体を確認し、お別れの準備をされていました。
その後、30分後くらいにご遺族の方が到着され、霊安室に。
柩をあけて、ご遺族がお別れをされます。(花入れとはではなく、合掌したり、顔を見たり)
おおよそ5分から10分くらいでしょうか。
柩に蓋をして、霊柩車に乗せられます。
(隣が火葬場ですが、少しでも公道にでれば、霊柩車が必要となります)

そのまま火葬場に向かわれました。

あとで、葬儀社さんにお尋ねしたら、最近、東京では直葬が増えているそうです。
東松山は東京から距離もあるので、事情が違うそうですが、それでも今回のように直葬が確認されます。
最近、都市部では直葬が増えているようですし、もう少しすれば全国でも一定程度は確認されるようになってくるかもしれません。

色々な事情があるので、一概には言えないのでしょうが、私は直葬に絶対反対の立場です。
儀式はそれなりの意味があります(これをしっかり伝えられない僧侶にも問題はあるのでしょうが)。
もちろん葬儀にお金をかけろと言っているのではありません。
そうではなくて、儀式をしっかりと踏まえた上で故人を見送ることが、とっても、とっても大切なのです。
葬儀という儀式はお別れの儀式ではありません。
そうではなくて、故人が仏様の世界に往かれたことを皆で共有し、仏様の世界に往かれた故人と遺族とが、新たな出会いを築く為の儀式なのです。
もちろん、葬儀には悲しみもありますが、一方で新しい関係を築く為の儀式ですから、葬儀を契機に、遺族には以後やらねばならない義務が生じるのです。
例えば、日々のお仏壇参りなどの行為です。
悲しみの中、その行為に身を任せることによって、新しい世界が遺族の心の中に切り開かれてくるのです。

しかし、直葬は上記作業をすべて省くのです。
故人との新しい出会いの契機も築かないし、やらねばならない義務も生じません。
ただ、故人と別れるだけ。まさに告別式。(これは葬儀ではありません)
そこには、故人を忘れていく世界しか残りません。あるいは思い出としていく世界しか残りません。
その道をすすめば、「死んだら終わり」という世界観が切り開かれてきそうで心配です。

日本人はそうではありません。
昔から先人を敬っていく世界観が築かれてきました。葬儀はその中心にあったものです。
しかし、段々と葬儀の意味が伝わらなくなり・・・葬儀が告別式化していき・・・挙句、「単なるお別れだったら形式ばった儀式なんて必要ないじゃん」。
と考える人が増えても、不思議ではありません。理解できます。
しかし、本質はそうではない。葬儀はお別れを告げるだけの式ではない。むしろ逆。葬儀は故人(仏様の世界に往かれた故人)との出会いを築く儀式。
「死んだらそれで終わり」という世界ではない。
「死んでも終わらない世界」と遺族の出会いが大切。それが葬儀の本質。
その世界を表したのがお仏壇だったりするのです。だからその後のお仏壇をお参りする生活も大事。
(ここを僧侶が整えていく、遺族を道に乗っけてあげる。それが僧侶の大切な役目の1つだったりすると思う)

直葬をすることで、「新たな出会い」を築かない・・・その果てはお仏壇も必要なくなる世界を生きていくことと繋がります。
お仏壇の代わりに、「故人の写真などを飾るスペースをつくればいいや」となるでしょう。
そこに手を合わせたところで、過去の思い出の意味しかありません。
思い出は個々人によって違うので、故人を知らない世代が生まれてくれば、お参りはしなくなるでしょう。
それではダメ。そのような世界を生きていってはいけません。

そうではなく、先人が往かれた世界。そんな世界と関係を築くことで、仏様を敬い、お参りする世界が開かれてくるのです。
そこには、「仏様は私たちをみていてくれる」。「仏様が悲しむようなことをしてはいけない」。などと人生の規律が生まれてきます。
その世界を私たちが歩むことで、故人を知らない世代が生まれてきても、仏様をお参りする人間が育っていくのです。

安易な考えで直葬をしてはいけません。文化が崩壊することに繋がるから。
文化の崩壊に繋がれば、「誰も見てなきゃ何してもいいや!」と思う人間が育ち易くなります。「バレなきゃいいや」と考える人間が育ちやすくなります。
先人を敬うこと、弔うこと、葬儀を勤めること(お金をかけたくないのであれば、お寺に相談してもいいじゃないですか)これらはお金に変えられない大きな価値があるのです。
(もちろん、最低限かかる部分はかかります)
だからこそ、もっと葬儀を見直し、より良い社会を後世に残していきましょう。

最後に、「葬式は、要らない」という本を島田裕巳さんが書かれて売れましたね。
私は読んでいませんから、批判はできませんが、
もし、本当に葬儀が要らないと書かれてあったとしたら、それは間違いです。
本が売れる為に 敢えて言っているだけです。
確かに、本は売れたようで、次に「0葬」などと言い出しました(笑)
まあ、言論の自由がありますから、何をいっても構いませんが、それに踊らされたらいけません!!!
島田さんも、影響力あるんだから、大事なことは死守しながら、行動してほしいものです。
「仏様はすべておみとおしですよ」


お彼岸ってなぁに?


●お彼岸とは
「彼岸」とは、川向こうの岸という意味で、煩悩(欲)を脱した悟りの世界を意味します。「彼岸」に対し、欲にまみれたこちら側の世界を「此(し)岸(がん)」とも言います。
「彼岸」は古くは『源氏物語』あたりから古典にもでてきます。平安時代中期の貴族のあいだで行われていたようですね。
日本仏教におけるお彼岸の習わしは、死者の冥福を願いながら、欲にまみれた心身を清らかにする期間として大切に過ごされてきました。欲にまみれた姿の愚かさを教えてもらう、大切な期間なのです。
またお彼岸は悟りの世界を意味する為、極楽浄土のことだと考えられてきました。1年に2回あるお彼岸の中日は、昼と夜の長さが同じになり、太陽が真東から昇り、真西に沈みます。西方極楽浄土とも言われるように、お彼岸の時期に沈みゆく太陽のはるか彼方には、極楽浄土があると思われてきました。この期間に仏様をお参りする事で彼岸=極楽浄土へ往くことが出来ると考えられてきたのです。お彼岸は日本特有のもので、草木の芽吹き(春)と、実り(秋)を祖先に感謝する心と、上記のような仏教の考え方が合わさり、行事として定着してきたのです。素晴らしい文化ですね!
実はあまり知られていない事として、国民の祝日となる春分の日・秋分の日ですが、春分の日は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、秋分の日は「先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ」として制定されています。これらの心はすべて関わりがあると言ってよいでしょう。

●いつなの?
彼岸のお中日=3月の春分の日と、9月の秋分の日、それぞれを挟んで前後3日を含んだ7日間。つまりお彼岸は春と秋に7日間づつです。それぞれの初日を「彼岸の入り」、終日を「彼岸のあけ」といいます。
※春分の日と秋分の日は、年によって違いますので、ここに○日~○日と書けません。今年平成25年の春のお彼岸は3月17日から23日までです。

●何をするの?
・彼岸の入りの前に:
 お墓、仏壇の掃除。お盆のような飾りつけはありません。心静かに待つ。

・お彼岸の期間に :
 お墓と仏壇にお参り、供花とお供え。説法を聴き、自己の姿を反省する。

・彼岸会・法要  :
 西照寺でもお彼岸時期には合同法要を行っています。
 お気軽にお問い合わせください。

●宗派・地域による違いは?
・お彼岸のお供えで味付けしない米粉を蒸した彼岸だんごを用いる場合があります。
・お墓参りの際に卒塔婆を準備する場合があります。(西照寺では用いません)

●ぼたもちとおはぎ
春はぼたもち=牡丹、秋はおはぎ=萩と、呼び名が異なるだけで同じものです。炊いた米を軽くついて丸め、餡で包んだものですね。西照寺の副住職はその立場にありながら、このぼたもちを戴くのが苦手です。

●ヒガンバナ
秋のお彼岸の時期に咲くのが名前の由来です。お彼岸に仏前に供えたりする習慣はありませんが、毒があるのでお墓や田を動物から守るために植えたりしたそうです。毒を水に晒して消し、根からでんぷんを取ったり薬草使用もします。(安易にしないでくださいね。毒が残っていると吐き気、下痢、神経麻痺などを起こし、場合によっては生命の危険があります)種は出来ず球根で増えます。群生地が観光地になるくらいで、たくさん咲いているときれいですね。赤いものという印象がありますが、白い花もあります。

(この記事は、ブログ運用スタッフが副住職の監修をいただきながら準備しています。副住職、いつもたくさんの記事ありがとうございます!)


報恩講とは? ―浄土真宗本願寺派のお作法


報恩講とは? ―浄土真宗本願寺派のお作法

●報恩講とは
報恩講とは、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の法要です。聖人の恩に報い、お念仏を味わうのが趣旨です。浄土真宗の僧侶・門徒さんにとっては、年中行事の中でも最も重要な法要です。50年ごとの節目には大遠忌(2011~2012年は750回忌)と称し、大々的に法要が行われます。

●いつなの?
東本願寺では11月28日、西本願寺では旧暦に計算した1月16日を親鸞聖人の命日としますが、関東のお寺の多くは10月中旬頃から11月下旬頃にかけて各々報恩講が勤められています。

●何をするの?
・お寺や一般家庭のお内仏(お仏壇)で、僧侶の唱える正信偈(親鸞聖人の教えを説いた経)をお聞きします。
・一般の法事と同じようにおとき(料理)をいただくこともあります。

●地域による違いは?
・浄土真宗が親しまれている北陸3県では報恩講がさかんです。「ほんこさま(富山)」「ほんこさん(石川・福井)」「おこさま(福井)」とも呼ばれ、各寺では法会(ほうえ)の後におときの精進料理がふるまわれ、「報恩講料理」として郷土料理に数えられています。基本は一汁三菜の精進料理ですが、北陸内の地域によって細かく内容に違いがあるとのこと。最近では報恩講料理の食べられる旅館や、催しがあるそうです。
・三重県伊勢地方では御講汁という、味噌仕立て・にんじん油揚げのお汁をいただきます。

●『報恩講』金子みすず

「お番」の晩は雪のころ、
雪はなくても暗のころ。

くらい夜みちをお寺へつけば、
とても大きな蝋燭と、
とても大きなお火鉢で、
明るい、明るい、あたたかい。

大人はしっとりお話で、
子どもは騒いじゃ叱られる。

だけど、明るくにぎやかで、
友だちゃみんなよっていて、
なにかしないじゃいられない。

更けてお家へかえっても、
なにかうれしい、ねられない。

「お番」の晩は夜なかでも、
からころ下駄の音がする。

「お番」は詩人・金子みすずの郷里山口の地方で報恩講の事です。お寺での仏事の身近さと、子ども心が踊るような、その場の雰囲気を今に伝える詩ですね。「うちは浄土真宗だけど、それ以外の事は何もわからないし興味がない」という方もいらっしゃると思います。最近ではお寺での行事というだけで、敷居が高い面があるかもしれません。そんな中で、自分の家でなくなにか昔の偉いひとの法事に、現代でもたくさんの人が集ってお経に耳を傾ける意味について考えてみられてはいかがでしょう?故人と向き合う以上にご自分と向き合うきっかけ、感謝の心など、生きる拠りどころとなる確かなものが感じられるかもしれません。

(この記事は副住職監修のもとでスタッフ投稿です。住職ならびに副住職、いつもブログ執筆有難うございます!)


お焼香の仕方


こんにちは 副住です。

今日は少し肌寒いですね。
さて、このブログを使いながら、今後は仏事のお作法についても、充実していきたいと思います。
そこで今日は、浄土真宗本願寺派の焼香の仕方を取り上げましょう。

①香炉の一歩手前で阿弥陀仏に一礼。
②一歩進み、お香をつまんで、香炉にある火種の上に落とします。(一回だけ)
③その場にて、合掌→お念仏(南無阿弥陀仏)を申し→礼拝。
④後ろに一歩後退し、阿弥陀仏に一礼。

*お香は額にて、おしいただいたり致しません。

また、お念珠(数珠)は普段から房(ふさ)が下にくるように持ちましょう。
左手で持つことがいいでしょう。


仏事のお作法 =お焼香=


<お焼香とは> 焼香とは、ご葬儀・お葬式などの儀式において、死者を弔うために香(線香や抹香など)を焚くことを言います。立礼焼香・座礼焼香・回し焼香があります。(お香について、詳しくはこちらもご覧ください)

<お焼香のお作法> 以下のように宗派別で一応の決まりはあるようですが、寺院によって、または地域によっても違いがあります。また通常、どの宗派の僧侶が法要を営んでいるかがわからないケースがありますので、そのような場合は丁寧に1回お香炉に焼香してください。これはご自分の宗派でなく、故人の方の宗派で決まるものです。よく、「前の人と同じにしておく」と言いますが、前の人が正しい作法をされているかは分かりません。 一番大事なのは気持ちですが、作法どおりにスマートにお焼香するのも、故人への真心が感じられて、よいと思いませんか?

◆浄土真宗・本願寺派
焼香は1回、線香は香炉の大きさに応じた長さに折って火をともして灰の上に横にねかせて入れます。
※浄土真宗では、焼香は額に押し頂きません。
◆浄土真宗・大谷派焼香は2回、線香は香炉の大きさに応じた長さに折って火をともして灰の上に横にねかせて入れます。
※浄土真宗では、焼香は額に押し頂きません。
◆天台宗
焼香は3回、線香は3本立てます
◆真言宗
焼香は3回、線香は3本立てます
◆臨済宗
焼香は1回、線香は1本立てます
◆曹洞宗
焼香は2回。1回目は額に押し頂きひねって香炉に入れ、2回目はそのまま落とします。線香は1本立てます。
◆浄土宗
焼香は3回、線香は1本を2つに折ります
◆日蓮宗
特に作法は決まっていませんが、丁寧に行う場合は3回します。線香は1本立てます。

ご臨終より、まずご相談ください―――――――――――――――――――――――――――――――
浄土真宗本願寺派 雲龍山 西照寺  0493-39-4640  http://www.saisyoji.jp/
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