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自分のすべきこと


こんにちは 副住です。

本日はお彼岸の最終日。ですが、とても寒いです。
また冬に逆戻りですね。

先日からより勉強をしなくては、との想いにかられ、まずは業について
本を読んで調べてます。
先日のシンポより、宮崎さんに「生死の意味を明らかにすることこそ宗教者の役目である」
言われてしまいました。だいぶ心に響いたようで、私の役割がはっきりしたような気がしてます。
・・・すると、思い返すと実力が足りないことに気がつきました。
なので、より勉強というか、生死の意味を伝えられるように自分を深めることに重きをおきながら
残りの人生を歩めたらいいなと思って本を読んでいます。
少し、心に火がついたようです。
いつまでもつのかわかりませんが。
またご報告いたします。


お彼岸参り


皆様 こんにちわ 西照寺の住職です。

今日は暖かいとのことでしたが、曇っていたので然程暖かさを感じませんでした。
明日は雨で寒いようで、冬と春との季節の押し合いのような日々が続きます。
果たして桜はいつ咲いてくれるのでしょうか?

お彼岸も明日で終わりです。今年のお彼岸もお墓参りが多かったです。
ありがたいことです。


春の気配が弱いですね


こんにちは 副住です。

今一、春の気配が弱いこのごろですが、お彼岸のお中日も過ぎ
ホッとしているところです。

今日もお参りに来られる方が多く、ありがたいことです。
風が強いのが難点ですが、今から外作業をしにいこうかと迷っています。

因みに明日はブログでご法話を載せようと思います。
ブログの欄に法話欄があるらしく、そちらに載せることとします。
始めて欄に投稿する形となるので、上手くいくのかわかりませんが
とりあえずやってみます。
法話はすでに3回載せているような気がしますが。


お彼岸(ご先祖を偲んで)


皆様 こんにちわ 住職でございます。

本日はお彼岸のお中日。
晴天に恵まれ、たくさんのお参りをいただきました。
ありがたいことです。

さて、彼岸とは彼の岸(かのきし)と書きます。
私たちの生きる世界は此の岸(このきし)です。
つまり彼岸とは、亡くなられた方の往かれた世界。
浄土真宗で言えば、お浄土に想いをよせ、お参りする時なのでしょう。

昨日の副住のブログにあったように、死の意味づけをいただく日ということでしょう。
死の意味づけをすることで、生の意味づけが明らかとなる日でもあります。

お彼岸は年に2回あります。
そう考えるとお彼岸とは、生きていることの意味づけを確認させてくれる日ということでしょう。
ご先祖や亡き方が、私たち生きているものに与えてくれた機会を大切にいただきたく思います。
合掌


なぜ葬儀は必要か(葬儀の意味)


こんにちは 副住です。

昨日はシンポジウムの日でした。築地本願寺のご本堂にて行いました。
私が司会をさせていただきました。400~500名の方がきてくださいました。
シンポジウムという性格上の問題もありましたが、
個人的には納得がいきませんでした。もっと上手く進行すべきでしたし
大切な部分をもっと言えるよう整えられたらと後悔があります。

さて、シンポジウムの要点を記載しようと思います。
講題は「なぜ葬儀は必要か」とのものでした。
一点目のポイントは、葬儀の前提となる人の死をどう捉えるかという問題です。
宮崎哲弥さんのご発言では、
「死というものを合理的に意味を明らかにすることは、現代の科学や知性をもってしても無理である。
もし、死に意味づけできるものがあるならば、それは宗教の力である」とのことでした。

死の意味づけがなぜ必要であるのかを問うならば、そこに生の意味づけが明らかとなるからであります。
例えば、食物を食べて、美味しいと思うには、まずいことを知らないと 本当に美味しいとわかることがありません。
それを生死にあてはめるならば、死という意味がわからなければ、生の意味もあやふやとなってしまうでしょう。
つまり、人は死の意味づけができる時、同時に生の意味が明らかとなり、そこに生き生きとした人生が展開してくるという側面があるのです。
現在の葬儀には、宗教者からの死の意味づけが欠落していってしまっている。そこに儀式の形骸化があり、悲劇があるのだとご指摘くださいました。

自分の宗教をもつことは、死の意味づけを与えられ、生の充実感を得るために大切なことであり、
そこが上手くできていないとすれば、日本の葬儀が意味をなさないとご指摘くださいました。

二点目のポイントです。葬儀の儀礼ということについてです。
釈さんにご発言いただきました。
葬儀の儀礼とは、ネアンデルタール人であった時から、人間の営みとして行われていたとのことです。
つまり、宗教よりも古くから 葬送儀礼は行われていたというのです。
その儀礼の役割とは、「人の死を受け入れていく為のもの」とのことでした。
儀礼を通して 故人の死を受け止めていける作用が、文化を問わず人間の営みとして行われてきたのです。
従って、「なぜ葬儀は必要か」との問いを持つこと自体が、人間のもつ営みから外れていく、不思議な問いであるとのことでした。

上記の二つのポイントが「宗教が果たす葬儀の意味」とまとめられましょう。

補足としてですが、葬儀の儀礼だけが、死を受け止めていくことにはならないとのことです。
仏教でいえば、以後の49日やご法事、月参り(故人の命日に毎月僧侶が自宅のお仏壇でお参りすること)などの
儀礼を通じて、徐々に死を受け止めていくことができるとのことです。また、そこに宗教者が関わることによって
死の意味づけに導き、生の意味を充実させる役割があるとのことです。
そのような意味では、普段から宗教者との関わりをもっていくことが、葬儀の意味を明確にすることとなるとのことでした。

最後に、信頼できる宗教者と出会うためにはどうしたらいいのか?とのご質問があがりました。
宮本さんの答えとして、お寺によっては開かれた活動をしているところもあります。
その場に参加することで、住職の性格や人柄を知ることができます。
そのような場に参加してみることも一つの方法だと思います。とのことでした。
また、お寺もより情報を発信し、皆さんに知ってもらえる努力をしないといけないとのことでした。

西照寺もまずは、ブログを主とし情報を発信していこうと思いました。


なぜ葬儀は必要か


こんにちは 副住です。

今日は築地本願寺にてシンポジウム。司会進行をします。
宮崎哲弥さん、釈徹宗さん、宮本義宣さん、佐伯美智子さんがパネリストです。
~なぜ葬儀は必要か~との題目にて議論をしていただきます。

曇りだから、出足が心配ですが、15時~17時半までおこないます。
頑張ってこようと思います。
それでは、行ってきます。


お彼岸入り


皆様 こんにちわ 住職です。

一昨日、副住から怒られました。しかし、法話会で話してたと聞いたので、書いてもいいのかと。
でもお尻の痛みもなくなったようですし、良かったですね。
ご門徒の方からも、メッセージが入っておりましたよ。
みなさん、ご心配をおかけしました。

しかし、コメントがたまに入ると嬉しいものですね。
見てくれているんだ!ということがわかります。

今日からお彼岸に入りました。
今日は雨なので、少し寒いですが、暑さ寒さも彼岸までといわれます。
そろそろ寒い日も終わるのでしょう。ホッとしますね。

B型インフルエンザが流行っているようです。
皆様お気をつけください。


痔仲間


こんにちは 副住です。

・・・・・・・・・酷くない???
寺務から住職まで、ブログで何の報告をしているんだ!(`Δ´)!
これは守秘義務を犯したというか、もうプライバシーの損害でしょう。
ブログで、私の個人的な情報を流すのは控えるように言っておいたでしょう。

昨日、住職と寺務に説教しました。《すでに遅いけど》

さて、私は痔です。
実はもう8年くらい前、インドに一ヶ月くらい旅をしました。仏跡を回ったのです。
その際、インドの環境を甘く見て旅をした結果お腹を壊し続け、帰国後痔を発病したのです。
そのときは少しだけの痛みでした。

時は過ぎ6年が経過した時でした。すでに西照寺で副住を務めておりました。
体調が悪い中、仕事をしたことが原因だったようです。猛烈な痛みが押し寄せました。
辛すぎて病院に・・・新宿の社会保険中央綜合病院に行きました。
評判を聞いてです。
私はすぐに手術だ!と思い、入院の準備をしていったのですが、先生が診察するなり
ばい菌が入ったのでしょうと。薬をくれました。・・・改善。
妻に話したら、大げさだと笑われました。

そして今回、先月末でした。インフルエンザの時だったのかもしれないのですが
熱はなく、身体がとても重く、調子が悪かったのです。
しかしご法事が2件あって、住職がいなかった為、無理して私が勤めました。
すると、読経中にお尻に痛みが・・・
なぜ? どうして?? お尻さん???
しかし、読経中ですので読経に集中。
1件目が終わると、お尻の痛みは強くなってきました。

すぐさま2件目のご法事です。
お尻が痛いのでご法事できません!などと言えるはずもなく、再び読経を・・・
すると、痛みは増す一方。しかし、動くわけにもいきません。平然としながら読経を続けました。
無理しながら頑張ったのです。
ご法事を終え、お尻が痛いと言いながら、昼食の鯖寿司をいただきました。
翌朝、発熱してました。《これはインフルエンザ》
日がたつにつれ、痛みが強くなってきたので、再び病院に・・・
2年ぶりでした。先生は 無理しちゃった?と聞いてくるのです。

そこでわかりました。体調が悪い中、正座をしてお腹から声をだす。
これ、肛門に力が入るのです。どうやら、これが原因だったようなのです。
体調が悪く、弱っているときに、無理して圧力をかけたことが災いしました。
どうやら、職業病となりつつなります。
まあ、寺でなる病ですから、痔というのかもしれません。(寺にやまいだれで痔)

先生によると、私のはさほど酷くはないようです。
それなのに、あんなに痛いのだから 酷い方は可哀想です。
痔の人、頑張っていきましょう。連絡お待ちしてます。


副住の悩み


皆様 こんにちわ 住職でございます。

昨日、寺務(私の娘です)に西照寺の宣伝をしておいてと依頼したのですが、副住の話になっていました。
寺務には伝えておきますが、副住のお尻の問題は痔なのです。本人が言っておりました。
こないだ病院に行ってきたようです。
私にはその痛みがわかりませんが、結構痛いみたいですね。
忙しさのせいか痛いせいか、普段にまして私を頼りとしてます。
もう少し、法務をこなしてください。

以上、追伸のご報告でした。


副住職の予定


こんにちわ事務です。 今日は、西照寺の情報を流すように頼まれましたが、急なので副住職の活動を書いてみます。今日は、小川の温泉で法話をすると言ってました。花和楽の湯です。私もたまにいくのですが、良い場所です。副住職は足湯で法話をしていると言ってました・・・ボランティアだそうです。隔週水曜日に行っているみたいで、西照寺のカラオケ会(毎週水曜)の曜日と重なるので、忙しい時にいてくれないので困ります。あと18日の日に築地本願寺で公開講座があって、そこで司会をするそうです。西照寺にポスターが貼ってあります。宮崎哲弥さんも来るそうです。宮崎さんだけは見たことがあります。また19日は夜に東松山にある町カフェで歎異抄の講座をすると話してました。夜みたいです。18時から1時間だったかもしれません。初心者にもわかるように話すと言ってました。最近毎日、忙しそうです。ただ、お尻が大丈夫か心配だと言ってます。どうゆうことなんでしょうか?(笑)