カテゴリー別アーカイブ: 日記

どうなるのか


おはようございます。副住です。

今日は土曜日、西照寺ではご法事が勤まります。

予報では、関東の上空にも強い寒気が入り込み、

雪が降る可能性があると聞いていました。

しかし、今朝は5時に起きたのですが、いつもほど

寒くなかったのです。5時40分くらいに車に乗ったのですが、

いつもは7時頃でも車のフロントガラスが薄氷で曇ってしまってい

るのですが、今日は全然凍ってない。むしろ暖かい朝でした。

これから寒くなるのでしょうか?今シーズン一番の寒さと聞いて

いるので、とても嫌なのですが、予想が外れたか?

暖かいのは、気持ち的にとても有難いです。

私は寒いのが嫌いですから。

さてさて、今日はご法事と、夜には比企青年会議所の総会の

リハーサルがあるので、一応時間はあるので、外部監事として

チェックしに行こうと予定はしております。

ただ、怒っている事に変わりはないので、どうなるか。

リハ前に行われる話し合いによって、行動が変わるかもしれませ

ん。

 


何気ない更新


おはようございます。副住です。

昨日は築地本願寺で会議があり、参加。

その後、19時前に自宅に帰宅。

急遽、夜の予定を変更したので、時間があきました。

それなので、その時間を利用して、雑務を。

若干溜まりつつあった仕事を一つ終えることができました。

よかった!

取り急ぎ、今の目標は2月8日まで乗り切ることです。

予定が立て続いているので、それぞれ効率よく、そして

しっかりと前に進めて行くだけです。

因みに、今日は今からお参りに都内に向かいます。

夕刻から地元で別件があるため、それまでに帰宅しないと・・

さて、今日も良い天気そうです。

雪の情報もあったみたいですが、今日も一日

過ごしてまいりたいと思います。

なんの内容もないブログとなってしまいましたが、

こんな日もあっていいのです。

それでは皆様、各々有難く過ごせると嬉しいですね。


比企青年会議所 現状にキレてます。


おはようございます。副住です。

昨日は久しぶりに、いやJCでは初めてプッツンとキレて

しまいました。本気で怒っております。

私は、本気で怒らせると面倒だと自分でも思います。

スジが違うから怒るのであって、しかも怒るまで

に長期間の積み重ねが当然ながらあるのです。

何度言っても響かない。何度言っても直らない。

何度言っても気付いてくれない。

そんな状態が続き、やってはいけないことや凡ミスを連発。

さすがに堪忍袋の緒が切れてしまいました。

こうやって、皆から「あの人、面倒くさい」とか思われていく

のでしょうね。外部監事なんか引き受けたから、人望はなくなる

一方です。トホホ。

いや、もともと人望なんてものはないか(笑)

しかし、人望なんていりません。

スジが違うから怒っているわけですから。

ここはもうガチンコなのです。

比企JCのOBの諸先輩方、誠に申し訳ありません。

今のままであれば、正直、こんな会であるならば

私は比企JCを潰しに入ります。成長の場にすらならない。

こんな会は、私の知る比企JCではありません。

一点だけ申しておきますが、理事長は大したものです。

頑張ってます。気持ちも覚悟もあるでしょう。

それ以外の経験値が高い執行部が問題なのです。

全く。

私を怒らせたんだから、もはや誤ってすむような事態では

ありません。

約束なり覚悟なりを示し、さらに行動してもらわなければ

私の怒りは収まりません。

怒るまで長期間かかったように、怒りが収まるのにも長期間

かかります。私には誤魔化しは通じません。

それなりの覚悟、自分を変える位の意気込みと約束、

それからそれに伴う実際の行動まで、一連を確認できなければ

私の怒りは収まらないでしょう。長期間かかると思います。

まずは、やるのかやらないのか決め、それを私に報告し、

以後どうしていくのか、自分たちで考え、それをもって、

私にどうして欲しいのかを伝えるべきでしょう。

私は声がかかれば、それを聞きにJC会館に出向きます。

雁首そろえて真剣に、自分たちの歩む道を伝えて欲しいと思いま

す。

やらないのなら、やらないで構いません。

私もそれなりの対応で責務を果たすだけです。

私は比企JCの現執行部に喧嘩売ることになりました。

OBのUさん、見てるんでしょ。

このブログをみて、どう行動すべきか、わかりますね?

私をJCに引き入れた先輩なんですから。

宜しくお願い致します。

 

 

 


充実感を得るには


おはようございます。副住です。

2月8日過ぎまでは、土日以外は、ほぼ外勤などが

入っているので、忙しなく感じますが、

業務的に追い込まれるようなものはありません。

なので、今は移動が多いのですが、さほど心が疲れるような

ことはありません。ただし、充実感は低いですね。

やっぱり大変な状況の方が、充実感は上がりますね。

でも、その分、疲弊度が半端ないので、嫌ですが。

充実感っていうのは、心で感じ取る満足感なのでしょうか。

充実感を一回知ってしまうと、もう一度求めたくなるのです。

まるで麻薬の様に。麻薬やったことないので、わかりませんが。

充実感があると、疲れていても、気持ち的に満足感が高いので

頑張れるし、人生が楽しくなるのだと思います。

また、よく頑張った!と自分で自分のことを納得してあげられる

ので、そこがとても良いのだろうと思います。

自分で自分のことを受け入れてあげることができないと、結構大

変で、疲れやすいと思います。

仏教(浄土真宗)は、ある意味で自分を受け入れてあげる教えな

ので、その意味で、私は浄土真宗とであって本当に良かったな。

と思います。自分で自分を認められないと、それは苦しいと

思う。充実感を得るというのは、ある意味では、自分に納得

している状態だと思うから、自分のことを受け入れてあげること

から始まるのかもしれないと思います。

充実感=レベルの高い自己肯定、自己満足感ともいえるかも。

なので、充実感を得るには、まずは自分を受け入れてあげること

から始めてみるのもいいかもしれませんね。

自分を受け入れてあげるには、自分で自分のことを評価してあげ

られるようにすることが近道かも。

例えば、私の例で言えば、大嫌いな勉強を頑張って、自分なりに

勉強したぞ!と高いレベルで納得した。という過去があるので、

それ以降、自分を受け入れることができました。

自分が嫌いなものや、苦手なものを克服した時、自分のことを

評価してあげられる。だから大変なんですけどね。

頑張るって、そういうことだと思います。

好きなことを邁進していけば、自分の中では「頑張った!」と

言わないと思います。むしろ、「楽しんだ!」と思うのかも。

「頑張った」んだけど、「楽しんだ」ととらえてしまう。

表現の仕方が異なるのだと思います。

「頑張る!」というのは、努力が必要なので、どこかしらに

苦労がある。その難所を通り越すことで、自分を評価して

あげられる。ここに自分を受け入れてあげる素地がでてくるの

だと思います。自己肯定感。

一方で、「楽しむ!」という道は、自分が興味ある道なので、

ドンドン突っ走る。例え難所があっても、難所だと思わないか

ら、「努力」と思わない。むしろ「楽しく」感じてしまう。

ドンドン道を突き進めば、いずれ、その道の猛者となるので、周

りから「凄い」と評価される。自分では凄いと思わないけど、周

りからチヤホヤされてくると、自信に繋がる。自己肯定感が持て

る。

努力する道も、楽しむ道も、結局同じ自己肯定感に繋がる。

自己肯定感が持てれば、そこが充実感へと繋がっていく。

そう思います。

私は努力型だったので、苦難を乗り越えてきましたが、

「楽しい」ことを突き進む道を歩んでいる人を羨ましく

思います。私は「楽しい」が見つけられなかったタイプだから。

だから努力の道だったのだと思います。

「楽しい」道を進める人は、楽しいことを見つけられた時点で

羨ましいと思います。ただ、この場合、挫折をした時に脆そうだ

けど。私は挫折しまくりなので、ある意味強い。雑草ですね。

まぁつまりは、同じ道に辿りつくのだと思うのだけど、自己肯定

感という、自分を認めてあげられれば、充実感を得ることにかな

り近づけると思います。

自分を認めてあげるには、「努力」「楽しむ」どっちの道でも、

その道に没頭する、邁進するという作業は避けて通れないと思い

ます。

自分で自分を認めてあげる、評価してあげられるというのは、あ

る種簡単なようですが、それが一番難しいのかも。

だって自分だから誤魔化しがきかない。嘘が通じないのだから。

ライバルは自分ですね。

さてさて、私が猛烈な充実感をもった時のことを綴ってきましょ

う。それは、論文を書いた時を思い出すのです。

論文を書く時は、とても疲弊します。

私の場合、論文を執筆した時、3か月以上は

かかりました。(毎日数時間それだけやってるんですよ)

論文集として本に載る場合、執筆者の人数や本の状況で

ページ数が割り当てられます。

私の時は本論で15000字程。

原稿用紙(400字)にすれば、38枚程度。

これとは別に、補注をつけますが

私の場合、補注を充実させてしまい8000字程。

原稿用紙だと20枚程。

合計23000字だから、原稿用紙60枚弱を書いたものが

本格的な論文でした。

大学の卒業論文は原稿用紙50枚以内だったと記憶してます

から、それよりも少し多い位ですね。

しかし、当然内容は全然違います。

大学の卒論と、一応研究者としての論文は、内容を比較すべき

ものではありません。(笑)

だから、論文執筆の3か月間は、本当に大変。

大袈裟に言えば、命が短くなったんじゃないか!と

思えるほどの負担なのです。

論文を書いている時は、自分の言いたいことが、過去の研究者の

意見や、経典に証明されていると論建てできた時の興奮や

新たな発見もあって喜びがあります。

一方で、新たな問題や、違う分野にも視点をあてていかないと

独りよがりの、ただの自分の都合の良い主張となってしまう恐れ

もあると思い、これまで勉強してこなかった分野まで気になりだ

してきます。論文は一度発表したら、その論文は書き直せない

し、読者にその論文で自分のレベルが判断されてしまうので。

そう考えると、どこまで広く深く内容やポイントを押さえている

のか?が勝負となってくるのです。

だから、論文書いている時ほど、自分を追い込んでいる時は

ないのです。故に苦しい。

論文が出来上がって、本として校正されている段階でも最後の

最後まで悪あがきをします。校正も3回か4回ほどありました。

やっと最終校を提出した時、完全に燃え尽きます。

燃え尽きたと同時に、その分の充実感を感じます。

もちろん、自分でも成長がわかるのです。

ただし、疲弊度も半端ない。

私はもともとが怠けたいタイプなので、論文執筆の際の

疲弊度が、論文執筆の充実感や成長実感よりも勝ってしまった

のでしょう。以来、論文を書こう!とも思わず、研究から離れて

しまいました。研究者として負けたのです。もう離れてしまった

ので、研究者でもなくなりました。

だから自分でも勉強嫌いと自認しているのです。

しかし、今になって、そろそろあの頃の充実感が欲しいなと

思い始めています。疲弊度が大きかったけど、あの頃の充実感を

、今更ながら求めているのです。疲弊度と同程度、いやそれ以上

に頑張った時の充実感は、私を離してくれません。

充実感って怖いな。それほどの満足感なのです。

 

 

 

 

 

 


「美」について


おはようございます。副住です。

おっと、昨日の更新を忘れてしまいました。

今、気づきました。

昨日は鎌倉に行ってきました。

また、諸々と学びが深まりました。

鎌倉での学びは「美」についてです。

門外漢の私ですが、縁あって、数年前から

「美」に関してご縁をいただき、そこから少しずつ

「美」の学びを深めています。

ただし、「美」には色々とあって、奥が深いのです。

門外漢の私ですので、ご縁をいただくまでは、はっきりいって

「美」について、然程興味もなかったし、興味を持とうとも

思いませんでした。

しかし、ご縁とは不思議なものです。

興味がなかったものでも、興味を持たざるを得ない状況になれば

少しづつですが、「美」について触れることとなっていきます。

また、「美」というものに触れることで、文化も考えさせられま

す。さらに、「たしなむ」ことの重要性にも気づかされます。

色々と経験すること。さらには、自分なりの哲学をもっている

ことで、「たしなむ」ことが活きてきます。

私は学生時代に学びを深めたことから、ある種の哲学をもつこと

となりました。たぶん、自分なりの哲学(考え方や捉え方)を

もっているのだろうと思います。

だからこそ、その哲学に合わないものだと、つまらないし、興味

がでない。しかし、鎌倉にいって「美」の学びを深めることが

続いているのは、学びが稀に、私の哲学にヒットする場合がある

からなのです。

ヒットする時、「おお!凄いな」と心の底から思わされます。

ある種の「感激」ですね。最近、私が学びを深めている日本の美

である「わび・さび」。これには、相当ヒットさせられました。

「わび・さび」は定義というか、捉え方は広いと思いますが、

おそらく、その「核心部分」の思想的な部分は、相当深いし

日本人的だな。と思わされています。ここにはもちろん、仏教的

影響がおおいにみられると思う訳です。

そう考えながら、それを表現している美術品(文化財)を見ると

「確かにそうだ!」とわかってきます。う~ん。「美」は深い。

このような自分なりの発見がある時、私はとても感激します。

歩みは遅いし、成長もゆっくりだけど、自分の腹に落とし込む

ような学びが好きなので、誤魔化さずにそのまま突き進みます。

本業とは別に、「美」を学び、活かすことが、私のもう一つの使

命なのです。ご縁があって、数年前からそうなってしまったので

す。ご縁とは不思議なもので、私が希望したわけでなくても、

そうなってしまうこともあるのです。

不思議って、思議(考える)することが、不(できないorしなく

てよい)と書きますが、まさに私が「どうして?」と考えても

仕方がないことなのです。

 

 


吉見町の名産 いちご


こんにちは 副住です。

イチゴが美味しい季節となってきました。

西照寺がある東松山市の隣町の吉見町は、イチゴが名産です。

西照寺から20分ほどの距離です。

吉見町では、イチゴ狩りも盛んです。

じゃらんで紹介されてる、吉見町のいちご狩り

私もイチゴを食べますが、好きという程でもありません。

普通です。でもイチゴは美味しいですね。

近年、イチゴが好きだという方を訪ねることが多くなったので、

この季節になるとお土産に、吉見のイチゴを購入していきます。

私が吉見町でイチゴを購入する場所は、

「道の駅 いちごの里よしみ」です。

JA埼玉中央 吉見農産物直売所

ここには吉見町で採れたイチゴが大集合してます。

箱売りで、安いし、甘味の強さなどで分類されていて、

非常に買いやすいのです。もちろん、品種も様々。

ここで、お土産を買って出かけます。

購入に来るお客さんも多いので、なるべく早めがいいです。

午前中とか。ただ、イチゴも本当に沢山あるので、きっと

午後になっても、イチゴが店頭になくなれば、補充されるはず。

私はいつも午前中にいくので、午後の状態はわからないのです。

しかし、イチゴ狩りをしたい!という方は直売所はダメです。

ここではイチゴ狩りができません。

なので、近くにある個人経営のイチゴ狩りのハウスにいけば

大丈夫。もちろん各ハウスにも、イチゴは売ってるはずです。

イチゴの季節は冬。ピークはきっと1月から3月頃だったような

 

 


今、楽しいです。


おはようございます。副住です。

現在、西照寺の土台を整える為、諸々水面下で

進展中です。

私一人で進められるものでもないので、それなりに時間が

かかってしまうのです。それは仕方ありません。

そんな中、私に出来ることから始めなくてはならないので、

そちらに関しては、現在進行中です。

やることが明確になったので、あとは、そちらに専念するだけ。

ただし、自分一人でドンドン進めていけるものでもない為、

そこが少しだけ歯がゆい部分です。

どうしても、時を待たないといけない。

今だからこそ、言えることですが、やるべき事にもっと早く気づ

けていたならば、すでに完成していたことでしょう。

とはいっても、昨年末の寺田倉庫さんに研修に行ったからこそ

やっと気付けたことなので、気づけただけ良かった!と喜ばない

といけないのですが。

しかし、勉強したことで頭で理解したつもりでも、

身に落とし込まないと、本当にわかった!とはなりませんね。

頭や知識だけに頼っていても、全然ダメ。

身に落とし込ませることで、明確にわかった!と言える側面もあ

ります。しかし、わかった!と思ったことでも、それが実践して

成功するか!?という部分は別問題です。

私は今、西照寺が今後、どうしていくべきか?という部分。

つまり、方針なども部分の作り方をわかった!と言ってます。

何が大事で、どう考えていけばよいのか。今後、どのように

していくべきなのか?など、お寺の今後を、どのように考える

べきなのか?という部分を作り込む術をわかった!と言っていま

す。ただし、その答えを出したからと言って、その道が果たして

本当に素晴らしい道であるのか?まではわかりません。

ここの部分は結果論ですから。未来にならないとわからない。

だけど、今まで困っていた、西照寺はどうしていくべきなのか?

という、とても曖昧で難しい部分への問いに対し、ある種の

答えを導きだせそうな所に今いるのです。

だから、長年の私の懸案事項に対して、どうすればよいのか?と

いう道が見え隠れしている現状が、とても楽しいし、凄く興味が

あるのです。

久しぶりに、今を楽しく生きています。

 

 

 

 

 


東京仏教学院の講師は辞退


おはようございます。副住です。

今日は東京仏教学院の講義があります。

今日を含め、講義はラスト2回です。

東京仏教学院とは、築地本願寺内にある浄土真宗本願寺派

の夜間の学校です。詳細はこちら

東京仏教学院

私はご縁をいただいて、30歳の頃から講師を続けさせて

いただいております。もう10年以上となりました。

講師は、毎年更新を依頼され、継続するような形です。

私は、昨日のブログでも記載したように、現状色んな関りがあ

り、忙しなくなってしまい、来年の東京仏教学院の講師を辞退さ

せていただくこととなりました。

私は龍谷大学の文学部真宗学科の博士課程まで通いました。

これは、自分がお寺を継ぐべきか?と悩んだ結果、大嫌いな

勉強を始めたことから、そのような学歴となったまでです。

そちらの事情は過去のブログで綴りました。

お寺を継ぐ 副住職の決め方

文学部だったこともあって、在学中は博士論文がメイン(今は

コース博士。つまりPHD)だったので、論文提出ができず、

単位取得依願退学なのですが。。。(もっとも、コース博士でも大変で、私は論文提出などできなかったですが)

ただし、まだ真宗学ではコース博士もメジャーではなかった

時代でしたので、博士で単位取得依願退学でも、少しは実績とし

て見なしてくださいました。学会発表や論文も数本だけど書いて

ます。

その影響もあって、私が京都から自坊に戻るタイミング(30歳)

で、東京仏教学院の講師のお話を頂戴しました。

以来、とてもお世話になったのですが、そろそろ私も自坊の

役割を中心に考えねばならないし、そもそも学者希望でもなかっ

たので、ここら辺で、講師も引かせていただこう。

と考えたのです。周りからは若干引き留められました。

そう言っていただけただけでも、とても有難いことだと実感して

ます。

ただ、私の本来の為すべきことを考えた時、宗派の人材育成に

注力するよりも、優先すべきことがあるように思えたのです。

それに身体のことも考えると、

流石にやる事が多すぎて無理になってきてるのです。

それで、来年から東京仏教学院の講師を辞め、その他に

力を使っていこうと考えました。

ですから、私の東京仏教学院での講義も、今日と2月の1回で

最後となります。残り2回。そう考えると、どことなく寂しい気

持ちにもなるものです。あと2回を噛み締めて講義をしようと

思います。


今年の歩み予定


おはようございます。副住です。

新年を迎え、すっかりと通常の生活に戻りました。

今年は、自坊の基礎固めと、軌道に乗せていく活動を

共に行っていく為、力を自坊に注いでいく年です。

一方で、築地本願寺内の教務所での仕事は、2018年度

の流れを、具体的に形にしていく為に、後方支援的な

仕事を進めて行きます。同時に、2020年度に向けた

活動も水面下で進展させていかなければなりません。

やることが明確なので、この一年は成果がどうなるかは解らない

けど、頑張るだけなので、やりやすいのです。

その他、比企JCや子どもの学校の父母会、比企応援プロジェクト

教誨師などの外部活動も加わってくるので、そこら辺の役割は

適宜乗り切っていこうと考えています。

う~ん。外部活動が多すぎたので、一昨年くらいから減らしてき

たはずなのに、今年で再度増えてしまった。

昨年は、保護司になってくださいとご依頼されましたが、

教誨師もやっているし、あまりに業務過多だったし

他の方で相応しい方もおられると思います。と断りました。

これでも、できることだけにしようと考えているのですが、

結果、色々と関わりが多くなってしまっている現状です。

あまり多くをやると、全てが軽いもので終わってしまうので

好きではありません。やるなら、一つのことをトコトンやりたい

タイプなのです。でも、仕方ないですね。社会にでると

色々な関係ができてくるし、社会的制約がありますもんね。

体は一つしかないし、年もとる一方だし、減らさないと

いけないとは思っているんだけど。あぁ、前途多難だな。


再始動


おはようございます。副住です。

今年は、今日から築地勤務が始まります。

出勤前に更新です。

取りあえず、まずは今日から2月8日までが第一の勝負。

月末は京都出張も入っており、バタバタします。

でも、年末年始は外勤が少なかったので、身体は休めました。

自坊に居続けられたので、溜まった雑務もほとんど終わらせるこ

ともできたし、気持ちも楽です。

欲を言えば、もっとこんな状態のままいたいのですが、でも

忙しなくしていることが、自分らしくもあるし、刺激もあるので

成長できると思います。こんな環境でもなければ、甘えてしまい

成長することをやめてしまうかもしれません。

そう考えると、成長させてもらえる機会があるということは、

喜ぶべきことです。

本来喜ぶべきことなのに、それを喜べない我が身であること

をツクヅク思わされます。