死んだら終わり? 死んだらどうなるの?


おはようございます。副住です。

今日から久しぶりに、濃い内容を連載で綴りたいと思います。

人間は死んだあと、どうなるのでしょう?

きっと死んでみないとわからないのかもしれませんね。

しかし、宗教には私が死ぬ前に、そのことについて、確信とも言える世界観を与え

てくれる力があります。私はそう感じています。これは一人の宗教者として綴るこ

とです。私が感じる確かなことは、「死んでも終わらない」ということです。

たぶん死んだら肉体や意識などは、もしかしたら役目を終えるのかもしれません。

一方で、終わらない部分もあるのです。

(これを言葉化するのが、難しい。誤解される可能性が高いからです。

言葉は意味を限定していくので、非常に使い方が難しいですね)

死んでも終わらない部分。これがとても大事。

しかし、それらは目に見えるものでもないし、触れられるものでもありません。

だから、今の私たちにとって確認が難しい。

だからこそ、今は「死んだら終わり」と思う人が多くなっているのだろうとも思い

ます。科学にすっかり慣れた現代人の頭では、それは、ある意味当然です。

しかし、科学では説明できないものがあります。私は科学は大切だと思ってます。

しかし、所詮科学などは人間界における論理で説明ができるものだけを、ある意味

の正としているだけ。説明できないものに対しては、正も誤も判断しません。

「科学的ではない」となるわけです。しかし、現代は「科学的でないもの」を誤り

と考える人々が増えているような気もしなくはありません。たぶん多くの科学者は

それを「誤り」とは思ってないでしょうし、「科学で説明がつかない」と表現する

のだと思いますが。しかし、一般人はそうではない。「誤」的に捉えます。

科学は人間界だけの常識なのです。人間界という狭い世界観だけで物事を判断

する物差しでしかないのです。だからこそ、科学だけに頼る物事の見方は狭いと

言わざるおえないのです。そのような見方で、物事をみると、多くの過ちをおかし

ますね。誤った方向に進んでいくのです。現代の危うさは、多くの方が科学的な

考え方が好きで、非科学的なものには重きを置かなくなりつつあるような気がしま

す。本来人類という(長い時間のスパンで考えたとき)ものに大切であるはずの

様々な事柄も、現代という短い時間のスパンでのブームである科学の目線によって

崩壊されていく様子が、ここ数年の悲しい流れです。

どこかで、この流れを反省することも大切だと思います。

明日以降も、より具体的に綴ろうと思います。

 

 

 

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