文化財を託される


おはようございます。副住です。

今日も二本立てブログとします。

初回がこのブログで連載ものです。

そして次が、JC(比企青年会議所)の例会の再度告知です。

さてさて、連載ものの続きです。

手紙のやり取りと、神奈川への訪問は、共感した時以降、頻繁となりました。

私も学びを深めることができるし、何よりも、

これまでとは全く違う分野の専門家との共感できる話は興味深く、

おじ様との会話が、今後の私の宗教者としての活動に大きく

影響するだろうと思ったからです。本当に自分勝手なものです。

以来、忙しい中にありながらも、足しげく会話を目的に通うようになりました。

沢山のことを教えてもらったし、新しい発見や、

重要なご指摘を頂戴することができました。

そのような過程の中で、ある日、おじ様が私に数点の文化財を託したい!と提案されました。

託す理由は、おじ様の「これらの物を生かしてほしい」との想いからです。

「これらの物には、パワーがあるけれど、美術館や博物館に行ってしまうと輝けない」

「美術館や博物館は、物の墓場」との想いがあるようです。

その本意は、美術館や博物館は物を大切に扱うことに重きがおかれ、

近くで見ることや、触れること、物が人々にパワーを伝える環境ではない。

そのような想いからでした。

これまでの私との会話の中で、私の考えや行動、西照寺というお寺の役割を重ねあわせる時、

「君に託す」と思ってくださったようです。

私としては、正直「え!?マジで??何で???っていうか、重荷・・・」と思うと同時に、

「託す」と言ってくださったおじ様の想いを引き継がなきゃ!との責任感を強く感じたことを思い出します。

おじ様の話では、「今後の日本は、より大変な時代になるし、現在もお金に色々なものが振り回され、

人々の心が置き去りになってしまっている。

これからは心が疲れ果てた人々への救済を遂げる宗教の出番だと思うの。

その一つの役割として、これらの物をお寺で生かして欲しいの」とのことでした。

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