お寺では、裾野こそが大事なのかもしれない


おはようございます。副住です。

さて、お寺の中心と言えば、私は「教え」だと思っています。

しかし、「教え」のみで寺院が1400年以上社会から

求められてきたとは私には思えません。

おそらく、「教え」を中心としたその裾野の部分。これが大事。

山で例えると、山の山頂の中心が「教え」だとして

「教え」から派生した多くの「何らかのもの」が

山の裾野を作っているということです。

例えば、キリスト教であるならば、「教え」は聖書。

その聖書にあった物語を絵として表現してみよう!となって、

始めて宗教画が描かれた。これが絵画の誕生だったと聞いたことがあります。

つまり、「教え」から宗教絵画が派生した。

当時は宗教画(神との関係)しか描いてはいけないルール

だった時代もあったそうです。

その後、時代が下ってルネッサンスで

宗教絵以外にも書かれるようになって

西洋絵画が発展したと聞きました。

そのような例えであると、「教え」=聖書が山頂の中心。

そこから派生した宗教絵画・あるいは絵画が、山の裾野。

と言えます。

宗教絵画が教会などの壁面などに描かれたりすることで、

教会に観光に来る人がいる。あるいは、教会が大事に扱われる。
(絵画は、裾野の一例にすぎません。その他にも多くの裾野があります)

ある種、そんなイメージで、教会が時代を超えて社会的な存続を

認められてきたのだと理解ができます。つまり、経営ということ。

そう考えると、教会も「教え」だけで存続(経営)してきたわけではなく、

山の裾野部分に支えられてこそ、長い歴史の中で社会的な存続

要請がなされてきたのだと思います。

それを日本のお寺に当てはめるならば、どんなことが言えるのだろう?

と思っているのです。

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