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僧衣での運転問題


こんばんは 副住です。

今日は更新が遅くなってしまいました。

朝から色々と雑務があったので。

さて、昨日のブログに関連して

今日は「僧衣での運転」についての話題にします。

昨年末、読売新聞さんの新聞記事で以下のような記事が載って

ました。『「僧衣で運転」に青切符、法事行けぬと宗派反発』。

(この記事は今、ネット上では見れなくなってしまっています)

それを見て、先月末に私が更新したブログがこちら

先月29日のブログ

さらに、年があけて福井新聞さんが10日にこのような記事を

載せてました。

僧衣で運転し反則切符

読売新聞さんの記事では、切符をきられた僧侶の宗派名は非公表

だったのですが、福井新聞さんの記事では明かされていました。

西照寺と同宗派の浄土真宗本願寺派。

反則内容が、運転に支障をきたす服装。

そんなバカな!!!

まったく支障などないわ。

警察は、僧衣の格好して、運転してみてくれ!!と

思いました。

さらに、このわけわからない規則は、各自治体によって

定められた規則らしいのです。

ということで、全国一律ではないということです。

その記事もありました。

運転者の衣服規制は15県のみ

これでは、こちらが納得できないもの仕方ないです。

因みに、この問題はこれより以前に東北でもありました。

最近(1年前後ほど)の話です。

私も知っていたので、可笑しな違反。と思い

その時、埼玉や関東のことも調べたのです。

そしたら、私がよく運転するような場所では、その規則が

なかったので、若干他人事になってたら、読売新聞さんの記事

となり、新年の福井新聞さんの記事となってます。

やっぱりオカシイですよね。

宗派が色々と検討してくださっているようなので様子見してます

が、このような自治体が動いている問題は、やはり宗派レベルで

対応してもらわないと、一寺院が不満を言ったって聞いてもらえ

ない。こんな不条理な規則が知らない間で、しかも各自治体レベ

ルで浸透していっているなんて、どうにもオカシナ状況です。

知らない間に、ルールだけが勝手にできあがってしまう。

まだ、このくらいのレベルだからいいですが、場合によっては

恐ろしいことです。私たちが知らない間に、とんでもないルール

が勝手に出来上がってしまい得る部分が問題なんです。

今の日本は、少し危険な香りがしています。

権力者が勝手にルールを決めて、ルール化できてしまう

ことを知りました。これが当然!などと思わせないように

徹底的に宗派には対応をしてほしいと思っています。


孤独死を「心配」する問題 


おはようございます。副住です。

最近、孤独死に関するニュースが話題となってますね。

私は頻繁に、ネットニュースをチェックするのですが、

最近、私が気になる話題が、「僧衣での運転について」の

ニュースと、「孤独死」に関するニュースです。

「僧衣での運転について」の話題は、後日にしましょう。

今日は「孤独死」についての記事と、それに関して思うことを

綴りたいと思います。

まずは、こちらの記事です。

葬儀現場の悲痛

そして、こちらも

自分の孤独死「心配」

両記事ともに、最近アップされたニュースです。

最初の記事が、週刊女性PRIME。そして後のが朝日新聞デジタル

の記事。

週刊女性PRIMEは朝日系列でもなさそうなので、両記事は

別の母体から出されているという事実が重要。

「孤独死」に関して、何か大きな情報がだされたのかもしれませ

ん。そう考えると、朝日新聞の世論調査が影響したのかもしれま

ないとも受け取れます。

さてさて、ここではそのような裏掘りが大事なのではなくて、

記事の内容にフォーカスしてみたいと思います。

私は以前、宗派の研究所に属していた時、首都圏で葬儀の調査研

究を任されておりました。

当時は首都圏での直葬が話題となっていた時期であり、

宗派としても、今後葬儀がどうなっていくのか?と気になった

のでしょう。特に首都圏の事情というのは、いずれ全国に派生

していくこととなるので、重要な位置づけだったわけです。

その際、私も色々な葬儀社さんから聞き取り調査をしたのですが

、「直葬」の背景には「孤独死」という現代事情もあることを

知ったのです。さらにそこから派生した「遺骨問題」もありまし

た。

「直葬」とは、葬送(死から埋葬に至るまでの一連の流れ)の

過程の中に、宗教儀礼などを行わないで、直接遺体を火葬して

しまうことを言います。(定義は葬儀社さんによって違い、はっ

きりしていませんが、おおよそ、そんな理解で良いと思います)

直葬は昔からあったようで、特に身寄りのいない自死者の方が

おられた際に行われていたとのことです。

警察が検死し、その後、ご遺体の引受人がおられない時に、

ひっそりと直葬が行われていたのです。

それが現代、葬儀にお金をかけたくないというニーズが高まり

極端な直葬が広まっていってしまったというのです。

ただし、気を付けないといけないことは、「お金がかからない」

=「直葬」とのイメージが先行してしまい、直葬の内容をしらな

いで、「直葬でお願いします」と依頼してくる方が多いという

事実でした。喪主さんは、「直葬」を、親族だけで葬儀を行う

「家族葬」と勘違いしているとのことです。

しかし、「直葬」専門業者さんは、「直葬」だけで利益がでる

仕組みを確立しているので、「直葬でお願いしたいのですが」と

依頼されると、喪主さんに「葬儀は行わないで、直接火葬しま

すが、それでいいのですね!?」と確認することなく、

進めてしまうそうです。それで、喪主さんは、「直葬」の実態を

勘違いしたまま、ご遺体が火葬され、後で「こんなはずでは

なかった」と後悔されることが多いと、当時葬儀社さんから

聞きました。今は、だいぶ直葬の認知もすすんだのでしょう。

最近当時ほど、直葬が話題にのぼることも少なくなって

きたように思います。

もっとも、直葬はある程度の頻度で今後も続くと思います。

しかし、落ち着きをみせるでしょう。

さて、ご遺族がおられる場合の直葬とは別に、ご遺族が

おられない場合が問題なのです。孤独死の直葬。

当時、その事実を聞かされました。

つまり、少子高齢化の現代日本では、そもそも子どもが

おられない世帯の方々が多いという現実です。

現在は核家族。昔のように土地に居続け形成されている地域社会

とは違います。親族も住んでいる場所はバラバラ。

また、親族とも疎遠な家は当然のように多くあります。

ご法事のあり方をみていてもそうです。

親族を呼ばずに、2~3人でご法事を勤められる施主さんは

もはや普通に近づいています。(もっとも回忌の年数によって

も異なりますが)

そのような状況ですから、子どもがおられない家庭で、どなたか

が亡くなる。すると自治体は親族を探して、以後の手続きなどを

任せようとする。しかし、それが上手くいかない(引き受けな

い)ケースが頻発するという現状が現代なのです。

そこには、疎遠だったり、関係論だったり、人間としての薄情な

部分であったり、様々考えられると思います。それは誰も責める

ことはできません。仕方がないことなのです。

問題は、そのような現状があるという事実です。

現代社会は、あまりに個人を優先しすぎたせいで、自己責任論が

強い風土です。ですから当然、自分の死後のことについても自己

責任論として考えていかないといけないこととなってしまってい

ます。つまり誰にも頼れない。

しかし、ある意味矛盾してしまっているのです。

自分が死んでしまっているのに、自分の死後のこと(連絡や手続

き、火葬・埋葬の実務)をどうやって考えればいいのでしょう

か?無理です。

当時から、私はこの問題について、いずれ大きな問題となるだろ

うなぁと考えていました。ようやく、そんな実態が朝日新聞の

世論調査で数値として表れてきましたね。

おそらく、高齢世代がようやくそのことを意識し始めてきた

ということでしょう。

私は、この件について昔から考えていたので、ある案をもって

いるのです。それを数年前に行おうとしていたのですが、

時期尚早だったと思っています。途中で無理だろう!となりまし

た。しかし、状況がそれを許さないほど差し迫ったならば、

もしかしたら、事態は変わるかもしれません。

今年から、実際に私の案(皆で支え合いながら、孤独死を乗り越

えていくシステム)を、もう一度実現できるか呼びかけてみよう

かと思います。全てはやり方なんです。

無理なことなんか、ないのです。ただ、出来ない。無理。と思う

ことで、先の可能性を潰してしまいます。出来なくしているのは

自分なんです。

問題なんて乗り越える為にあるものだと思います。

皆で先の世界を築き上げていきたいと思うのです。

 

 

 

 

 

 


人間なんだからミスもする


おはようございます。副住です。

昨日は西照寺法話会でした。

諸々と情報のミスが出てしまいまして、

大変申し訳ございませんでした。

昨日、ご門徒Hさんから、ご指摘いただき

別院HPのミス記載に気づき、あわてて対応致しました。

近日、削除されます。

あと、ブログに関して、投稿の内容が連日重複してるかも!?

とのご指摘もいただいたのですが、こちらは、私が確認した

部分では、判りませんでした。もしお気づきの方がおられました

ら是非ともお教えください。

このように情報公開は大切なのですが、時として間違っている

場合もあったり、忘れてしまったままの記載になってしまったり

どうしてもミスがでてしまう場合があります。

本当はいけないことなのですが、なかなか難しいものですね。

かといって、ミスを恐れて情報公開をしない!というのでは

時代への対応もできないし、発展性もないような気もします。

やっぱり、ミスがあっても時代に適応していくような姿勢は

もっておきたいな。と思います。周りにご迷惑をおかけすること

もありますが、そこは、お互いの関係論の中で、ミスをお許しい

ただけるような間柄でありたいものです。

幸い、西照寺のご門徒さんは皆、素晴らしい方々なので、

そのような関係でいられています。だから、今回もミスを

責めるのではなく、教えてくださるのです。

一方で、少しミスをしたくらいで、徹底的に叩かれる現代は、

いきすぎのように感じる時もあります。

特に、面識もなければ、相手を徹底的に攻撃する。

自分を省みることもしないから、徹底的に。

このような一面は、人間だからあると思いますが、恥ずかしい

と思えるようになりたいものです。

このブログの趣旨は、もちろん、ミスをしてもいいや!という

ことではありませんよ。頑張っているんだけど、

人間だからミスする時もある。もちろん、ミスはない方がいいし

大事な部分でミスしてはいけないと、当然思っていますよ。

 

 


やりたいこと


こんにちは 副住です。

年始から、自坊で雑務を適度にこなしながら

過ごしておりました。

最初は自坊に居れて身体的にも楽だな。と思っていたの

ですが、最近、先週あたりから諸々と雑務や仕事に関する相談が

多く入る様に。いずれも、それなりに対応しながら、私的な考え

方で応答しているのですが、それなりに考えたり調べたり頭を

使います。なので、ちょっと疲れを感じ始めてきてしまいました

やる気だった年始から、まだ2週間なのに!!!

年始から仕事のスピードは速く、手際よくやれてましたし、やる

気に満ちていました。

ここで、今更ながら気づいたことがあります。

私はどんな仕事でも、それなりに興味をもってやることにしてい

ました。でも今、はっきり判ったことがあります。

それは、自分が本当に興味ある分野と、どうしてもそう思えない

分野の仕事とでは、頭の疲れ方が違う。

興味ある分野は、あまり疲れないというか、疲れるんだけど

楽しいから疲れは気にならない。

でも、興味があまりもてない分野の仕事の場合、疲れを感じてし

まう。特に興味があまり持てない分野の文章を作成する時、

書く事はできるのだけど、気持ちがのらないし、早く疲れてしま

うのです。今更ながら、実感しています。

私はどの分野でも、知らないからこそ「疑問」から入ります。

だから、それなりに調べようとするし、調べていくのですが、

どうしても興味がもてない分野だと、調べてみても、深い探求心

がもてず、表面的に終えてしまいます。これはもう、どうしよう

もないことです。

でも、現在の仕事では、自分の興味の良し悪しには関係なく、

やらなければいけない業務がでてきたりします。

今からの時代は、興味を深く持てる仕事だけをしていけばよい。

と言われますが、本当にこれからは、そのような仕事をすること

こそが、大事になってくると思います。

だって、仕事していて楽しいし、楽しいからドンドンやれる。

楽しいから、そのことばかり考えるし、そこに自分のオリジナリ

ティを加えることもできる。もし万一成功したら、それは儲けも

の。失敗しても、やりたいことだから、後悔もしない。

ただし、これから成功する為には、興味あることを掘り下げて

いく以外に、道はあまりないのではないかとも思います。

今後は、仕事なんだけど、仕事ではない。

やりたいことが仕事!みたいな時代になりますね。

というか、もうそうなっていってますね。

本当に実感します。

私は「やりたいこと」を聞かれると、「ない」と思うのですが、

仕事をしている時に、自覚的には「やりたい」という意識はない

のですが、仕事に対し、興味がもてているか?と聞かれれば

それはあるのです。

そう考えると、自覚的に「やりたい」とは思ってなくても、

「やっていること」に対し、楽しいと思えることはあるので、

つまりは同じことなのだ!と思えるようになりました。

う~ん。深いなあ。


学校行きたくない病


おはようございます。副住です。

今日から、私の中では、通例の生活となります。

年末年始は体調も問題なかったし、外勤も入らなかったし

久々に休めました。本当は、時間も持てたので自坊の大掃除や

自宅の大掃除を念入りにやったりすべきだったのですが、

この年になり、溜まった疲れや精神的な疲弊によって、やる気が

起こらず、休息に近い時間の使い方を優先してしまいました。

もちろん、雑務や書斎の片づけ等は行いました。

久々に自坊に居られる時間が多かったので、心身共にゆっくり

できた!ということです。内心、もっとこのような状況で居続け

たいなと思っています。

そんな中、外勤で忙しなくなるのは、16日からなのです。

16日以降は、2月8日まで落ち着けないので、またまた勝負所。

インフルエンザにならないよう、体調管理に気を付けたいと思い

ます。R-1。

そんな16日が近づいてきているので、ちょっと嫌になってます。

まるで学生時代に私が抱いていた登校拒否したい心境に近い。

実は私、学校に行きたくない病でした。(←私が勝手に命名し

た私の精神的状況のことです)。

学校で「いじめ」とかにあったわけでもなく、友達も

沢山いたし、何か問題があったわけではなかったのですが、

兎に角、学校に行くのが単に「面倒だった」という理由です。

毎朝、「あ~、今日学校行きたくねぇ~。面倒くせ~」と思って

いました。

勉強も嫌いだったし、頭が悪かったので授業も解らなかったし。

部活も面倒だったので、ダラダラやってました。

学校の全てが楽しくなかった。

楽しかったのは、土日に友達と遊ぶこと。毎日土日だったらいい

のに!と真剣に思っていました。

しかし、中学になると土日にも部活があるので、それも嫌だった

何で学校ってあるんだろう!と本気で思っていました。

そんな事を常に思っていたのです。

だからこんな思い出もあります。

あれは私が中学時代でした。たまたま両親が本山(京都)

の研修に2泊3日で行かねばならない状況がありました。

私が中学に登校する時間よりも早く、両親は自宅をでました。

その時、私は瞬間的にラッキーと閃き、学校が面倒だったし

無断欠席をすることに。そのまま、両親が帰宅するまで3日間

学校を無断欠席して、遊んでいました。

当時は、何も考えない子どもだったし、気転もきかなかったの

ですが、当然後日学校から電話が入り、私の無断欠席が発覚。

両親から怒られ、その後、両親から学校に行っているか!?と

強く警戒されることとなりました。あれはまずかった。

このように、私は元来、面倒くさがりで、周りの人が普通考えも

しないようなことをやってしまう、世間知らずな部分があります

。もっとも、今は仕事を無断欠勤したりは絶対しませんが。

ただし、一般世間とズレている感覚があるのは事実です。

妻と話をしますが、妻は「学校が何であるのか?」など考えもし

ないというのです。また、学校に行きたくないと思ったこともな

いようです。凄い妻です。優秀な人だと本心から思っています。

でも、妻から言わせると、これが普通だ!というのです。

そうなのでしょうか?

その証拠なのか、私の子どもであるのに、子どもは学校に行きた

い!というのです。私の気持ちは理解できないそうです。

妻に似たようです。

だから、私は自分が変なんだ!と大人になって自覚するように

なりました。

私は世間とはズレている感覚をもっているようで、世間では当た

り前と思われている部分に疑問を感じたりします。誰でもそんな

ことあるとは思うのですが(妻から言わせれば、私はそれが多

いタイプとのようです)

そんな性格が影響したのと、疑問を解決する為、努力することを

大学時代に身につけたので、

何でお寺を継がなきゃいけないんだ!と疑問を抱いても、ちゃん

と向き合うことができましたのは良かったと思います。

ただ、何で学校があるんだ!?との疑問は、小中学生の頃は

理解できませんでしたね。今でこそ、教育は超大事!との

理解がありますが、当時の私の精神年齢では理解ができなかった

だから「学校行きたくない病」がでてしまったのです。

今も、「外勤行きたくない病」がでそうになってますが、

今は何の為に外勤をしているのか!?が理解できているので、

当日が来たら、行きたくない!などと思わないで、行かなきゃ!

となるはずです。だけど元来が面倒くさがり屋なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 


夜の更新


こんばんは 副住です。

昨夜はJCの理事会があり、23時過ぎまで

会議をしておりました。

その後、自宅に戻り今日を迎えて就寝。

そのまま、今朝、ある試験を受けに外出。

見事合格しました。有難うございます。

ご門徒のHさんは事情をご存知のことです。

いやはや、5日前、突然の心変わりによって

えらい気苦労ある生活を過ごしました。

かなりの焦りましたが、終わったからこそ

言えるのですが、心身ともに疲れてしまいました。

今後も大変です。でも頑張ろう!

さてさて、これで明日から通常の生活が送れます。

そんなこんなで、ブログの更新が今になってしまいました。


JC始まってる。


こんにちは 副住です。

今夜は比企青年会議所の理事会です。

私はこの一年、外部監事としての任を与えられたので

一年間、外部から見守りたいというか、意見も出しながら

会のよりよい発展の為に、協力していこうと思います。

外部なので、慣れ合いではなく、厳しい意見もドンドン言って

いこうと思います。

本当は、面倒な人になるの嫌だから、避けたいのですが、会の

為になるのであれば、嫌われることも大事だと思います。

ただし理不尽な意見は、やはり嫌いなので、自分を見つめながら

謙虚に、しかし、言うべきことは言っておく!という姿勢でいき

ます。

あ~、一年は長いなぁ。過ぎてしまえばあっという間なんだけど


侘び 寂び 幽玄(日本の美意識)


こんにちは 副住です。

昨日は、私の家族事ですが、急な展開があり、

その対応でバタバタし続けております。

おそらく、今月下旬までかかるかもしれません。

そんな関係で、すっかり昨日の更新を忘れてしまいました。

さて、私は今年スイッチが入っているのですが、一方で

日本の美の特徴である「侘び・寂び・幽玄」について

学びを深めねばならない環境にいます。

私はよく鎌倉に行きますが、その先方(私の美術に関する師匠)

から美術や芸術(文化財)に関するご教示をいただいているので

す。数年間。

因みに、西照寺の文化財鑑賞会は、師匠から想いを受け継いだ鑑

賞会なのです。

西照寺 文化財鑑賞会

ただし、美術や芸術を学ぶといっても、専門的な教えではなく、

むしろ身に沁み込ませるような学びです。

この流れの中に、過日ブログでも綴った「本物とは何か」などが

あります。

本物とは何か

つまり、「本物」についての学び、などもご指導いただいたわけ

です。数年かかりましたが、「本物」の重要性を知れました。

今度は、日本の美の特徴である「侘び・寂び・幽玄」について学

びを深めているところなのです。

日本人として生まれて来たのに、「侘び・寂び・幽玄」というこ

とを私は知りません。残念ながらわからないのです。

これまで、深く知る環境に身をおいていなかったからです。

むしろ、今の日本は「侘び・寂び・幽玄」という美を意識する

場所などがないのですね。

残念ながら、戦後の欧米化の中に、本来の日本的な特徴が置き去

りにされてしまった事実があるからでしょう。

その意味から、私は「侘び・寂び・幽玄」がわからないのです。

今、それらを知ろうとしているのですが、なかなかわからない。

日本人なのに、昔の日本の良さをしらない。これは勿体ないこと

です。今年は、その部分も深めていきます。


早くも前途多難


こんにちは 副住です。

今年はある意味でチャレンジの年でもあります。

さらには、土台をしっかりと作り込み、

土台を固めていく年でもあると考えています。

このように自坊にしっかりと注力していくぞ!と

考えてから一週間ほどで、もう前途多難な状況に

なりつつあります。

昨日更新したように、親子の相違。

さらに、まだわからないのですが、もしかしたら

さらに自坊以外の他の業務が増えるかもしれない・・・

そんな状況が頭をチラホラと過り始めました。

やっぱり、予定など所詮予定にすぎないのです。

思う通りに行かないのです。

その中、どうしていくのか。が重要なんです。

うーん。それにしても、たった一週間で今年の方針というか

私の想いが崩れていきそうになるなんて・・・

でも、今年の目標というか、今年の行うべきことは

変わりません。単に自分がより厳しい環境に身をおくことに

なるというだけです。時間が無くなるというだけの問題です。

 

 


親子の相違 


おはようございます。副住です。

先日、スイッチが入っている私は住職と喧嘩?しました。

これまでもずっとそうなのですが、意見が異なるわけです。

親子なので、喧嘩をしても、翌日には元通りになっているの

ですが。

喧嘩?というか、言い合いの原因は、今後の西照寺のあり方

について。

私が提案する意見に対し、悉くつっかかってくるのです。

本当に頭にくるのですが、実はこれが親子ってことなのだと

思います。どこか、息子に任せたくない。自分がやってきたプラ

イドがある。内部的な話では、もう住職は譲っているから!とか

言っておきながら、私が方針を主張すると、「でも」と反論。

住職譲ってるんだったら、住職の話を聞け!そして協力しろ!!

と内心思いながらも、父親の気持ちも理解できるので、住職は

まだ交代しなくてよい!とも思っています。

しかし、言い争いをするので、テンションは下がりますね。

入っていたスイッチをどこにもっていこう?とも思ってしまいま

す。そんな事を思いながらも、入ったスイッチですからOFFにで

きず。住職に反対されるので、実現するかもわからない提案を

未だ書面に落とし込んでいる自分が虚しい状況です。(笑)

それにしても、お寺だけでなく、世襲制の会社であっても

親子の意見はバチバチとぶつかることもあるのだろうなと

思います。

昔から言われているように、やはり雄が二人いてはダメなのです

ね。上手くバランスをとって進めていかないと・・・