比企青年会議所 伝えたいこと ③


おはようございます。副住です。

昨日は公益社団法人比企青年会議所2019年度の最初の事業が

ありました。反省すべきことが多々あった事業となりました。

私も自分の反省すべき点があり、偉そうに言えない自分がいるこ

ととなりました。すみません。

さてさて、そんな中なのですが、ここまで来たので続きを綴りま

す。今日でこの件に関しては、最後です。

今回は、「もう一歩抜け出す」ということについて綴ります。

会員の中には、青年会議所の入会歴が長いので、経験値が高い方

がおられます。

ですから、おおよそのことは、それなりに出来ている。

正直に言えば、「可もなく不可もなく」という程度でしょうか。

ただし、性格がとても魅力的で、会に良い雰囲気を醸成してく

れ、貴重な存在であることが特殊能力でしょうか。

故に、皆から愛されてしまうのです。それだけである程度評価さ

れてしまうのです。

これは素晴らしいことです。私とは違い、人望の為せる業かもし

れません。

しかしだからこそ、残念な部分もでてきます。

つまり本当に厳しくしてもらない。許されてしまう。

もし、当人が許されてしまう人生に自覚があるのだとしたら、大

したものです。

無自覚に、怒られないように動いているのだとしたら、そこは問

題かも。

もっとも、人から愛されて、それなりに出来るのだから、一歩抜

け出す必要があるのかわかりませんが、敢えて問題を指摘をする

とすれば、そこに「甘え」があると私には映ります。

それなりに出来る為、過信があるのか、気が抜けるのか、時々大

事な部分を踏み外します。

ここが、私には「甘え」に映ってしまうのです。

このままでいいのか、一歩抜け出す必要があるのか、私にはわか

りません。 本人が決めることです。

ただ、もし私から今回の件で伝えておくべきことがあるとすれ

ば、以下のようなことです。

現状から一歩抜け出す為には、「命がけ」という覚悟が必要にな

ります。

私は大学時代に、自分が寺を継ぐべきか悩んで、大嫌いな勉強

(仏教の教え)に臨みました。教えに納得できたらお寺やろう!

できなかったらお寺を飛び出よう!と判断基準を決めて「教え

に納得できるか?」と勉強にチャレンジしたのです。

自分の将来を左右する一大チャレンジです。この時、覚悟を決め

ました。「命がけ」の覚悟を。

当時は、「死ぬ気で勉強!」「勉強して死んでしまえ!」という

捨て身の覚悟だったので、乗り越えることができました。それで

今、お寺を継ぐ人生を歩んでいます。もっとも、勉強くらいじゃ

死にません。

「命がけ」の覚悟で物事にあたると、甘さが消えていきます。大

事な部分で踏み外すことは極力少なくなるはず。私はそう認識

しています。

昔の武士はそうだったはずです。してはいけないことをしてしま

うと、切腹だったのでしょう? 武士は命がけの人生だったので

はないかと思います。武士道というもんね。「命がけ」の生き方

なのかもしれませんね。

一方、現代はミスをしても命を奪われる環境ではありません。誤

れば済む時代です。

ここに「甘さ」がでてしまうのだろうと私は思います。JCはそれ

で済む(本当のJCは、きっとそれではダメ)でしょうが、今後の

会社を背負っていく身となるのであれば、きっと「甘さ」が問わ

れる事態だってあると思う。だからこそ、JCにいる時に、「一歩

抜け出す」という選択を問われたことがあるかどうかは大事だと

思うので、今、このように綴っています。

一歩抜け出すかどうかは自分で決めてください。

最後に、たまたまですが、昨日こんな記事がネットにでてまし

た。タイミング的にも、私が言おうとしていたことと同じ内容

だったので、驚きました。これもご縁ですね。

ご紹介させていただきます。

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「命がけ」に関する記事です。