美意識を鍛える方法 


おはようございます。副住です。

昨日の続きとなりますが、本書の内容には「なるほど!」と、確

かに納得させられました。現代の日本社会では、論理が重要視さ

れがちな社会です。説得力がある論理に対し、直感など、感性は

軽く見做されているように感じるのです。これは以前、ブログで

も書きました。

寝台特急「トワイライトエクスプレス」 合理性への疑問 (理性と感性のバランス)

確認してみると、2015年3月の記事なので、もう約4年も経って

いるのですね。当時、何気なく感じていたことですが、4年後に

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』を読んでみ

て、改めて振り返ると、間違ってもなかったようだ。と思わされ

ます。

たぶん、4年前に感じた何となくの違和感も、感性から来たもの

だと思います。そう考えると、何気ない感覚って結構大事で、そ

の感覚の基づくところには「美意識」があるのかもしれません。

各人の「美意識」の度合いによって、感覚の良し悪しが決まって

くるのかもしれませんね。きっと「美意識」が高い方であれば、

何気なく感じる感度もセンスが良いものとなるのでしょう。セン

スが良いということは、多くの方に共感を呼ぶことに繋がるはず

です。きっと、ここら辺が大事なのだろうと思います。となる

と、「美意識」を鍛えることは本当に大事なことだと思えてきま

す。普段から「美しいと感じる感覚」を鍛えることで、感受性や

発想そのものも美しくなっていくはずです。高いレベルの「美意

識」を有すことで、美しい創造性が生まれ易く、そこから生まれ

たアイデアが美しければ、多くの人の共感を呼び易いという好循

環に繋がるのです。もちろん、創造性を形に繋げていくことで多

くの方の共感が集まるのかが決まってくるのでしょうけれども。

この創造性こそが、今後の新たな世界を創っていくのだと思いま

す。これからの時代は、この創造性がより求められており、今ま

での日本社会で重要視されてきた論理・効率・利便性などを追及

していく姿勢が通じなくなってくるでしょう。これらはすでに頭

打ちとなっているから(どの会社も、同じようなことを重要視し

ている為、結局画一化してしまっているのです)。この頭打ちと

なってしまっているが故の閉塞感を突破できるものこそが、創造

性。

今後の社会は(というか、現在もすでに)、創造性がカギを握っ

てきます。

では、そもそも論として、どうやったら「美意識」が鍛えられる

のか?ということです。それは昨日のブログに綴ったように、

各々が「美」ということを意識することから始まるのだと思いま

す。「美」を意識して、そして素直な心で「美」(名品)と実際

に向き合い、直接体感する。それが一番の近道です。ただし、現

代は絵画なら別でしょうが、名品は美術館でケースに入れられ厳

重に扱われ、実際に触れてみることなどできません。ガラスケー

ス越しに、大勢の人々の中を割って入り、短時間見て終わりとな

ります。これでは、ダメだと私の「美」の師匠は仰います。もち

ろん、直接触れるというのは、そこに大きな危険が伴いますが、

だからこそ、当然慎重に扱うし、だからこそ作法というものが生

まれてくるのだと教えていただきました。名品に直接触れるに

は、赤子を扱うように慎重に触れることが大事とのことでした。

また、白い手袋などをつけることも、あまり良くないのだそうで

す。なぜなら、手袋をはめると滑ることがあるから。だから、焼

き物などは直接キレイな手で触る。手を良く洗って、タオルで水

分をふき取り、指輪や腕時計などを外して、慎重に集中して触れ

ることを教えてもらいました。私は門外漢ですので、きちんとし

た作法までは知りませんが、心得だけは教えてもらっています。

私はすでに2015年くらいから、門外漢なのですが、ご縁があっ

て「美」について学びを深めています。「美」には人それぞれの

「美」があります。それで良いのだそうです。「美」を意味的に

一つに決めつけない。色々な「美」があって良いのだそうです。

ただし、多くの共感を集める「美」というものもあって、それこ

そが名品なのだろうと思います。そのような名品に多く触れるこ

とで、「美意識」は鍛えられるのです。