意識の共有 会議


おはようございます。副住です。

今日は天気が悪いですね。

昨日と変わって気温も低いし。

ちょっと寒さすら感じます。

でも、この季節はこんなもんかもしれません。

風邪をひかないようにしないといけませんね。

さて、今日は久しぶりに西照寺会議があります。

会議は重要ですね。

私は常々思っていましたが、日本人は会議が好き。

築地本願寺でも、JCでも、他の私が関わる機関でも

会議・会議・会議・・・

30代は会議について学ばせてもらった印象さえもちます。

でも最近思うことは、会議にも質があるということ。

質によって、どうでもいいと思える会議と、すっごい重要と

思う会議と違いがでてきてしまうのです。

そこにはどんな違いがあるのかと言えば、重要と思える会議は

会議のメンバーが、高度な意識の共有ができていて、それを土台

に中身が話し合われる会議。正直とっても頭を使うし、疲れる会

議。

もちろん、会議で話し合われる中身(議案提出者)のプレゼンが

しっかりしていることが前提です。

こんな会議は、我が事として会議に臨めるし、我が事として

意見をだせる。だから会議が楽しい。

でも、意識の共有ができてないような会議、あるいは

プレゼンもよくわからないような会議だと

どんな意見を出せばいいのかわからないし、

そもそも、この会議は何のための会議で

どこを目的地に定めているのかも判らないので、

どうして私がこの会議に参加しているのだろう?

とさえ思ってしまうものです。

つまり我が事として会議に臨めないのですね。

だから、会議しても楽しくないし、悪戯に時間が

過ぎていく。会議を行ったという事実が残るだけ。

やはり会議は、意味深い会議であったほしいですね。

西照寺会議は、まだ意識の共有レベルです。

(もっとも、会議で意識の共有しなくてもいいのです)

(朝礼とかでもできると思いますが、西照寺は朝礼ありません)

ここら辺なんですよ。

でもお寺の中では、しっかりしていこう!という意識は感じま

す。

因みに、お寺は家族中心で日々の管理などやっているので、

意識の共有や会議など一般企業と比べると難しいと思えます。

やはり妥協ができてしまうのです。

そのような意味でも、門徒さんを巻き込まないといけないので

す。

 

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