副住職の原点


おはようございます。副住です。

今日は少々つづるだけにします。

過日の連研のための研究会で、実際に門徒推進員となられた方からの

感想をご発表いただきました。

それが、過日の画像です。

私が勉強となったことは、門徒推進員の方が仰っていた言葉にあります。

実際長期間にわたって研修を受け、京都の中央教修まですすみ、門徒推進員となられ、これまでとどう変わったのか?

という質問に以下のように応えておられました。

「門徒推進員となる過程で、家の宗教が自分の宗教となりました。そうなったことで、例えば、色々なことに振り回されなくなったと

思いますし、TVを見ることも少なくなりました」正確ではありませんが、そのようなお話しをされていました。

この話を伺って、「そうそう」と思わされたのです。

私は、色々なところにお招きいただき、お話しをさせていただくことがあるのですが、

ある研修会の席で、ご質問をされたことがあるのです。

それは、「私(質問者)は、あなた(私の事)が浄土真宗の教えをいただいて、どう変わったのか?何が変わったのか?それが聞きたいのです」とのものでした。

なるほど。とも思いましたが、私はこの質問に応答するのに苦慮したのです。

それは、私が教えをいただいていないから苦慮した・・・というものではなくて、「どう変わったのか?何が変わったのか?」という部分にありました。

どういうことかと言うと、それを説明するには、まず私が浄土真宗の教えと出会うストーリーから綴らねばなりません。

私の場合、幼少の頃から父親に「お前はお寺を継ぐんだよ」というレールが引かれておりました。

自然と「お寺継ぐんだ」と思ってきました。そして龍谷大学に進学したのです。

龍谷大学は総合大学ですが、成り立ちが浄土真宗本願寺派が創立した学校で、今でも浄土真宗本願寺派の教えを学ぶことができる大学です。

その大学を卒業し、お寺に戻る!という流れが、浄土真宗本願寺派のお寺の息子として、まあまあの理想形となるわけです。

私もその流れにのることができたのです。

しかし、大学1年生の頃、とある教授が授業で以下のように話したのです。

「お寺の息子に生まれたからこの学校に来たという人がいたら、今すぐに大学を辞めて帰ったほうがいい」

「人生1度きりしかないのですよ。それなのに、自分がやりたいかやりたくないかも考えないで、お寺を継ぐという目的を遂げるために

この大学に来たなんて、人生がもったいない。何より、そんな人に継がれたお寺や門徒さんだって迷惑な話だ。だから今すぐ辞めて帰りなさい」

そんな話でした。私は「それもそうだな!」と思わされました。私の友人は、「あの先生、なんであんなこと言うんだ」と怒ってましたが。

そこから、私もお寺を継ぐ・・・ということを考え始めることとなったわけです。(続きは明日)