お寺を継ぐ 副住職の決め方


こんにちは 副住です。

昨日からの続き。

お寺を継ぐ・・・という、これまでは当然と思っていたことに疑問符を抱く。

そんな日々が続きました。

でも、お寺を継ぎたいとか継ぎたくないとか、自分の気持ちが判らなかったです。

これは辛いものです。

お寺を継ぎたくない!と思えれば、まだ楽です。自分の意思があるわけだから。

さらに、やりたい仕事なんてものが、ちょっとでもあるのであれば、尚更良いです。

そうであれば、これまで私を育ててくれた両親や門徒さんに謝りながらも、

お寺を継ぎたくない!という説明ができます。(もっとも、門徒さんが許してくれるかは別問題ですが)

しかし、私にはこれがありませんでした。

かといって、継ぎたいか!?と聞かれると、これまた悩みどころ。

継ぎたいという意思も、あまりない。

こんな状況では、判断できないのです。

そんな状況で、2年を過ごしました。(今から思えば、大人になる階段だったのですね)

1年目は、足りない見識で何とな~く考えました。

2年目になると、考えが深まって、真剣に悩んでいました。

2年目を過ぎるころ、私なりに打開策を思いついたのです。

それは、お寺を継ぎたいか継ぎたくないか、自分でもわかならいで2年が過ぎた。

だったら、お寺の根幹である、教えを学んでみて、自分が教えに納得したならば、

お寺を継げばいいし、納得できなければ、お寺継げません!と自信をもって言えるはず!!!と。

今から振り返ってみても、素晴らしい妙案でした。

ただし、勉強は大嫌い。でも、真剣に考えてだした結論です。

さらに人生をかけたチャレンジです。

大の勉強嫌いの私でしたし、これまで勉強をしたことない私でしたが、

それから真剣に教えと向き合う必要があると考えたのでした。

でも、さすがに勉強をする決心が鈍りました。だって、勉強するの大変だから。

大学3年になる時です。大学3年から、ゼミというものがはじまるのですが。

ゼミとは、専門をより深く学ぶため、担任となる先生(教授)を選び、

その先生を希望してきた(学生に人気のない先生の場合、抽選で人気のない先生のゼミに送られてくる人もいる)

学生が集い行われる講義です。

ゼミを選ぶ際、第三希望まで書かされるのですが、

さすがに勉強するのが怖くて、私は第一希望・第二希望は「楽だ」と評判の先生を選び、

第三希望に昨日綴った、問題提起をした先生の名前を書きました。

もし第三希望が通ったら、勉強しろ!との流れなのだ!と覚悟を決めるしかない!と思ったのです。

時の流れに身を任せ、待ちました。

結果は第三希望となってました。勉強しよう!と覚悟がきまりました。

続きはこちら↓

お寺を継ぐ・・・副住職の転機