AIによって仕事が奪われる。その時、人間の存在意義は?


おはようございます。副住です。

唐突ですが、今日はAI(人工知能)について。

今後AIによって、多くの仕事が奪われる!などと

心配になる情報があがります。

近年、AIの能力向上により、色々なことが人間よりも効率的に

できるようになっています。

プロ棋士でさえも、AIに勝てなくなってしまいました。

もはやAIに人間が飲み込まれそうな感じさえします。

もしかしたら、今後人間が未だ発見できていない最先端な部分ま

でAIによって解明されてくることもあるでしょう。

私もAIについて、あまり知識はありませんが、素晴らしい進歩を

しているようですし、きっと私が想像していないような領域に

さえいるのでしょう。

ただ、AIがいくら進展したとしても、AIは人間とは違います。

もし今後のAIの進展が、人間の仕事を奪ったとしても、人間の尊

厳や存在意義は変わらないと思います。

人間がAIに多くの仕事を奪われた時、おそらく自己不信というか

自己存在の意味を問い始めたりする方向に向かうと思われます。

しかしその時、著しく意味を持つのが宗教という領域。

宗教は、人間が人間としての意味性(?)に出会える場。

きっと、深い所で人間は宗教に支えられていないと、自己の意味

性を問われた時、動揺することとなるでしょう。

それがAIによって、仕事を奪われた時なのか、あるいは戦争など

で全てを失った時なのかはわかりませんが、そんな時に、

自分は何のために生きているのか?

何の存在意味があるのだろうか?と純粋な問い、自己と正しく向

き合う機会とであってしまうのです。

現在日本で普通の人であれば、日常の様々な事柄に追われ、

その機会と向き合うことなく日々を過ごしています。

それで何の問題もなく、過ごせるのです。

忙しければ忙しい程、そんな重い事柄に向き合おうとしません。

普段から、向き合ったことがないので、向き合わなくてはならな

くなった時が訪れたら大変です。

すぐに答えを知りたいのに、答えがない。

他人から何か答えを言われたとしても、自分で納得できなければ

答えではありません。

そもそも自己の存在意義なんて、自己が納得できなければ意味あ

りません。

AIによって仕事が奪われる!と聞いて、もし危機感を覚えたなら

ば、奪われない仕事を探すよりも、自己の存在意義について今か

ら向き合うことの方がよっぽど大切です。

そうそう、今日はAIと人間の違いについて、私なりの見解を主張

したかったのですが、違う方向に話がそれてしまったので、

後日改めて触れようと思います。

 

 

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