わかりやすい仏教(7.仏教)


おはようございます。副住です。

自己中心性の心は、ある意味、孤立していこうとする方向へと、

私を動かしていきます。

不思議なことに、全体的な繋がりに目を向ける方向には展開しないのです。

むしろ、孤立を求めていく方向へと展開していきます。

究極的には、自分さえよければ!という方向へと進んでいきます。

自分優先主義は、最近の傾向ですね。

現在のアメリカ大統領は、よく「アメリカンファースト」と

主張していますが、あれこそ、煩悩のままの姿。煩悩に正直な姿。

ただ、悪いところは、煩悩の欠点を知らないところにあります。

もっと言うと、煩悩の誤りに気づこうともできないところにあるのです。

それはつまり、情けない状況ということです。

ただし、情けない状況にいることさえ気づけない状態なのです。

これは煩悩がそうさせているのであって、

そもそも人間の特徴なのかもしれません。

(そういう意味では人間は生悪説かもしれませんね)

例えるならば、鏡を見たことのない人が、汚れた顔をしていて、

平然と多くの人の前で目立とうとする。

他の人からは「汚い顔しているな!」と思われているのに、

自分では気づけない。そりゃそうです。鏡を見たことがないのだから、

自分の顔の汚れに気づけない。また、気づこうともできないのです。

これと一緒。

だけど、他人から指摘されたり、鏡を見せられたりしたら、

気づく場合もあります。

気づいたら、きっと汚れを落とそうとするでしょうね。

汚れていた顔の自分が、恥ずかしいと思えるでしょう。

これと同じで、煩悩の愚かさは、煩悩の心を照らしてくれる鏡

で確認しないと気づけないのです。

その心を照らしてくれる鏡こそが、仏教という教えなのです。

仏教を学ぶ(落とし込む)とは、自分の持っている煩悩の心の

愚かさなどを、自分で確認することとなるのです。

人から言われるのではなく、自分で確認をするわけですから、

言い訳できない。

そういう意味では、自分の嫌な面を見ることとなります。

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