本物とは何か(その6)


こんばんは 副住です。

まさに、これと同じような内容を、以前私は、現代の日本刀刀匠

の重鎮である、とある師匠を訪ねた際に聞いたことがある。

「昔(師匠の幼少期)は、刀や文化に関する色々な勉強会が色ん

な場所で開かれていた。その時に、良い刀とは・・・良い物と

は・・・など実物を見せてもらって、教えてもらった。でもいつ

の間にか、そんな勉強会は無くなってしまった。だから今頃の専

門家と言われる人でも、物を知らない。僕からしたら、どうし

て?と思うような刀が評価されてしまう。僕には全く理解ができ

ない。(専門家は)勉強してないから可笑しな物を評価してしま

い、結果として間違った物が世間で良い物として広まってしま

う」との内容であった。

刀匠の仰るように、現代では、専門家と呼ばれる人であって

も、本物を見分ける目を持っていないと言うのだ。その背景に

は、本物を知る(体感する)環境がないから。野見山氏が指摘さ

れる「本物の善さを身近に触れるような場や機会がない」という

のは、刀匠の指摘とまさに同じなのである。因みに、「美術館や

博物館に行けば、素晴らしい日本刀が展示されているじゃない

か! それが本物に触れる機会なんじゃないの!?」との反論も

あると思うが、それではダメなのだ。何故かと言えば、美術館や

博物館の展示品はケースに入っているので触れられない。本物を

知る(体感する)環境というのは、自分の手に取ってじっくりと

見ること、本物そのものを体感することでないといけないから

だ。例えば、日本刀などは、刃に対する光の当て方(角度)に

よって、見え方が変わってくる。刃紋(ハモン)や地肌(ジハ

ダ)の見え方が変わってくるのだ。微妙は角度の変化や、光の当

て方によって、じっくり見れば見るほど、さっきまで見えなかっ

たような表情を見せてくれるのである。その経験の中から、「ど

うしてこんな刃紋や地肌となるのだろうか?」など、作成の工程

が気になったり、原材料について関心がでてきたりするのであ

る。そこにこそ、野見山氏が指摘する「本来の工程」「手間暇か

ける工程」が見えてくるのである。ここが見えることで、それが

本物なのかどうか?が判ってくるのだ。素晴らしいもの(日本刀

に限らず)は、原材料や工程に手抜きがない。手抜きがないどこ

ろか、極まっている。それはつまり、すべてにおいて無駄なこと

がない、とも言い換えられる。時に偶然でなければできないと思

われるような職人の凄みを感じることさえある。これらは、実際

に物を手に取って、じっくりと触れながら体感することでしか、

解り得ないのだ。

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