本物とは何かⅡ-2


こんばんは 副住です。

続きです。

私は、「私」を超える世界が確かなものだと納得しました。

仏教では、それを「浄土」というのでしょう。

つまり、仏様の世界ということです。

私も、いずれ「私」という濁った心、囚われの心が

尽きる時、いわゆる死ぬときだと思いますが、その時に

仏様の世界に往けるのです。それが明らかとなったわけです。

ただし、今は「私」という濁った心があって、それが邪魔して

仏様の世界に、往けていません。

 

さて、雑に書くと上記のようなことなのです。

そんな経験があったけど、明らかに普通じゃないから

こんな話をしても・・・と思い、これまで20年近くも黙った

ままにしてきました。本当の近しい人、数人には話したこと

あります。家族とか。

しかしここ数年で、仏教に関係ないお二方から、驚くような共通

点がある話をしてもらったことで、私も共感し、自分の経験を

話すことに繋がりました。

今回は、そのうちの一人から聞いた話をご紹介します。