先祖のお墓か?


おはようございます。副住です。

この数日間、今から5年程前からの経過を振り返って
綴ってきましたが、

ここでようやく以前アップした坂戸市のお墓(3月3日のブログ)
3月3日のブログ

について説明ができることとなります。

実はおじ様の生家は、○○家という名家
(祖始は武田24将(武田信玄とその取り巻き)の一人)で、

数百年前まで家系図を遡ることができます。

私は家系図の写しをおじ様から引き継いできました
(一応、私にもその血が流れているので、おじ様が写してくれたのだと思います)。

数百年前、武田家滅亡の際、

24将だった祖始の次男が分家として、入間郡に逃げ流れ込んできたようです。
(因みに、長男の系譜の流れが、おじ様ということになります)

どうやら、農民として入間郡に入ってきたとのことです。

この分家の一家も、○○家と、苗字が共通してるようです。

そのような背景もあってか、影響力があったのでしょうね。

入間郡を中心に、その近辺の川越や比企の地でも○○家の一族が活躍されていた痕跡があるのだそうです。

川越や比企の古い文献に〇〇家の苗字が記された記録があるのだとか。

先月の文化財鑑賞会に来てくださったある方が、

たまたまその一家のことを調べている方で、

坂戸市に〇〇家のお墓がありますよ、と私に教えてくださったのです。

私もそれを聞いて、文化財鑑賞会が終了した直後に、

坂戸市にあるお墓を確認しにいったわけです。

確かに苗字が確認できました。そのことをおじ様に伝えると、

数百年前に入間郡に入った先祖がいるから、その方々のお墓と、

お墓の中央に建てられてあるのは、氏神として祀った祖始の記念碑
の可能性が高いのではないか!と驚きながらも、

貴重な情報を教えてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先祖累代之墓と見えます。(因みに、先祖の祖が旧字)